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小説❤︎春風に仕事忘るる恋天使 第十六話

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 この一週間は勝負の期間だ。俺たちは交渉と時の部屋の会議室をでると、正面口とは逆の左方向に進み裏口の扉を開ける。その裏口は久々の天界、しかもキューピッド株式会社の役員ゾーンにつながっていた。

「おい、美香。俺の前を歩くなよ。時間がないんだ。向こうの時間の一週間はこっちの時間で三十分しかない。下手に迷子になったり変な部屋の扉を開けようもんならあっという間に時間切れになるからな」
「あ、あ、あう……わ、わかりましたけど……言い方……」

 今にも泣き出しそうな美香に構っている暇はない。俺はすぐさまラファエルの部屋をノックもせずに開ける。

「……翔くんか。君には礼儀というものがないのか?」
「そのうち暇になったら身につけます。今は緊急事態です」

 ラファエルは大きくため息をつく。

「今度はなんだ?」
「交渉と時の部屋のワインを使わせてください。あの、一番奥にあるやつです」
「……本気か?」
「ええ、本気です」

 ラファエルは俺の表情を見て冗談ではないことを悟ったようだ。だが、そんなに簡単な要求ではない。

「天界のワインは人間界のそれに比べて一万倍貴重だ。その理由を知っているか?」
「ええっと……知らないです」

 ラファエルはため息をつく。

「関税だよ」
「関税?」
「ああ。人間界のワインを天界に持ち込む場合、百万パーセントの関税がかかるんだ」
「ひゃ、百万パーセント?」

 流石に目ん玉が飛び出るかと思った。聞いたことがないほど高すぎる税率だ。一万円のワインを輸入したら一億円の税金を神々に払う必要があるということらしい。俺の唖然とした顔を見て、ラファエルが苦笑する。

「昔ワインを飲んだくれて堕天した天使がいてね。神々が怒って関税率を上げたんだ」
「……まじっすか」

 第二ボタン事件といい、ワイン堕天事件といい、天使ってなんでこんなに抜けているんだろう?

「でも、当社の先代たちは画期的な対応策を確立してくれていた」
「対応策?」
「ああ。天使のわけまえ、もしくは天使の取り分と言われるワイン調達方法だ」

 樽で醸成しているお酒が徐々に蒸発して量が減る。ワインも同じだ。人間界ではその蒸発して減る分は天使が取るべきものだと言われていることは知っている。

「蒸発直後の成分を神通力で全て回収して天界に送り込むシステムを開発した企業を買収したんだ。蒸発成分はワインじゃないから関税はかからない。そこに目をつけたナイスアイデアな会社だった」
「そんな……そんな屁理屈が天界では通じるんですか?」
「まあ濃度調整用の成分濃縮抽出異世界転送技術とか、ボトルやエチケット模擬技術とか怪しい工夫もしているからグレーではある。それでも天界財務省関税局の許可を得ているから現時点では合法な輸入だ」
「……天使も苦労してるんですね。そんな意味不明な技術開発までして……」
「まあそう言うな。この技術のおかげでワイン事業は我々キューピッド株式会社の収益源の半分を担っている」

 確かにワイン事業は当社の第二事業として本業を支えていることは無視できない事実だ。ラファエルは真剣な瞳で俺を凝視する。

「それだけの手間暇かけた超貴重なワインだ。それを分かったうえで、あれが必要だというのか?」
「はい」

 そんな話をきいて、じゃあいいですとは引き下がれない。ラファエルは髪をかきあげる。もしここに並の女子天使がいたら卒倒するくらい美しい仕草だが、今の俺にとっては一刻も早く決断してほしいという感情しか沸き起こってこない。

「……わかったよ。許可は取っておく。天使データセンターの維持は失敗が許さないプロジェクトだ。こっちの時間はまだ半日しか経っていないとはいえ中学卒業式シーズンはもう目の前なんだ」
「ありがとうございます」

 俺は振り返るとガッツポーズを決める。

「やったぞ。これで業務を全うできる。それに超高級ワインを堪能できるかもしれないぞ。美香もうれしいだろ?」
「は、は、はい……う、嬉しい、です。ううう……」

 そう答える美香の赤縁メガネの奥の瞳には涙が溢れんばかりに溜まっていた。おいおい、泣くことはないだろ? 本当に食いしん坊だな、美香は……


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