見出し画像

空に飛ばなかった紙灯篭

Buon Anno!
明けましておめでとうございます。

2022年元旦の北イタリアは薄曇りながらも青い空が広がっています。

「もっと気軽に頭の中に浮かんだ考えや気持ちを発信できたらいいな」
そんなことを考えながら締めくくった2021年。

ゆぴさんのTwitterの投稿を見て、書き初めは#新年書くチャレンジ から始めることにしました。

Day1 ことしはどんな年にしたい(1月1日0:00版)

花火と爆竹の大音響で始まったイタリアの2022年。
カウントダウン後に乾杯したグラスを手にしながら、酩酊感と眠気と破裂音のハザマで考えていたのは、こんなことでした。

「ことしはどんな年にしたい?」

1.体の声に耳を傾けて、健康トラブルの少ない年にする
2.自分のポテンシャルを信じて、知識と経験を結び付けた発信を増やす

2021年は外科手術を2回して、年の瀬にも寝込んでしまうなど、予想外に身体のトラブルに見舞われた1年でした。うち1回の手術は、小さな不調を放置せずに定期健診をすれば防げたはず。そのため、今年は食生活や運動などの根本的な生活習慣を改善しつつ、年齢相応のメンテナンスも面倒くさがらずやっていこうと思いました。

そして、自分の年齢や経験をマイナスではなくプラスに捉えて、知能と経験を結び付けて表現をしていく年にする。これは2021年の振り返りと反省をから出た希望でした。

Day1 願いは空に飛ばず

一夜明け、元旦の朝。
願い事を書いた紙灯篭を手に、家族と初歩きに出かけました。

紙灯篭にしたためた願い事は「体と心の声を聞き、年齢をプラスに輝く」

澄んだ青空に高く高く昇っていく紙灯篭を首の痛みを我慢して見上げながら、決意を新たにする。

・・・・・・

そんなシーンを想像していましたが、ところがどっこい。
紙灯篭は基盤に点火をしても膨らまず、ふわり、とも浮かび上がりませんでした。「私も手伝う~!」と紙灯篭を手にした娘が、うっかり穴を開けてしまったようです。

そのまま家に持ち帰るのも間抜けなので、飛ばない紙灯篭をすべて燃やしてはみたものの、幸先の悪さによぎる一抹の不安。

空に飛ばなかった願いには、飛ばなかった理由があったのです。

Day1 その願い、家族のことも考えていた?

散歩の帰り道、久しぶりに旦那さんと並んで歩きました。
ポカポカの陽ざしを顔に受けながらも旦那さんの口から出てきたのは、一気に氷点下に突き落とされるような、2021年の私に対する厳しいコメント。

「パソコンやスマホの前に居過ぎる」
「自分のことばかり考えて、他者を疎外している」
「家族と楽しむ、家族を楽しませることに対して受動的」

思い当たることばかりで、足取りはどんどん重くなっていきます。

極めつけは、娘に「ママに今年は何をしてほしい?」と聞いて0.5秒で帰ってきた答え。

「あまり仕事をしちゃダメ」

自分の殻に閉じこもり、家族の気持ちを無視した道をひた進もうとしていた我が儘さを、愛する家族から突き付けられました。

そりゃ、紙灯篭も飛ばなかったわけです。

Day1 ことしはどんな年にしたい(1月1日14:00版)

旦那さんが紙灯篭に書いたイタリア語は次の4文字でした。

SALUTE(健康)
FELICITA'(幸福)
GIOA(喜び)
SORRISO(笑顔)

自分の名前と一緒に「ロマーノFamily」とサインをした旦那さん。自分のことだけを書いた私とはスタート地点からして違っていた。厳しいコメントも出るわけです。

でも、幸い1月1日は始まったばかり。
まだnoteで決意表明もしていませんでした。

ひとりよがりの目標を決めて走り出してしまう前に、紙灯篭が止めてくれた。
新年最初の失敗の花火が爆発する前に、気がついて問題を見つめることができて良かったと、心から安堵しています。

「ことしはどんな年にしたい?」

予備に買ってあった紙灯篭に書くことは決まりました。

「家族みんなが健康で、一緒に喜べることをして笑顔になる年」

明日も晴れていたら、家族で手を繋いでまた散歩に出かけます。
今度こそ、紙灯篭は空高く飛んでいってくれるでしょうか。


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?