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津原泰水について

 また中途覚醒です。体重が増えたので
効かないのかもw、要、相談です。
明日、あ、もう今日か。浅田真央ちゃんの
アイスショウに行くから緊張しているのかも。
知り合いに頼んだら凄い良席で緊張しています。

こっちには初めてかな。
私が津原さんと知り合ったのは、四谷シモンさん関連のパーティでした。
私の知り合いは津原さんの事を知っていた様子でしたが、
無知な私は名前も知らずに当日パーティがお開きになった後も
一緒に遊んでいたと言う、ファンから見たら怒られる行為です。
当日は酔っ払って私のウイッグを取ろうとして、まさかそんなに
有名な作家とは全く思えない行動だったので。

当時、広島の実家に一時的に住んでおられて、
時々一緒に出かけたり、
私が知らないお店に連れていって貰ったり
作品を読むまではただの呑兵衛のにいちゃんでしかなかったですが
作品の名前も知らなかった私に、例の万年筆で
お店のペーパータオルに幾つか書いて貰って、書店に行くと、
ある…あのにいちゃんは有名な人だったんだと
初めて実感しました。
ペーパータオルに書いて貰った数冊買って読んで、
この人は怖いと思いました。
見たことない言葉選びから組み立て、物語の構成。
どこをとっても初めて目にした物ばかりで
あの殆どお酒と煙草しかとってない頭の中はどうなっているのか
ボーっと遠くを見ながら何を考えていたのか
今となっては分かりませんが、
まだまだ沢山の構想があったと思います。
私が逢った時で「後10年以上先まで予定がある」と
言われていたので、まだ世に出なかった作品もあったと思います。
広島で一緒遊んでいた頃に「1日に一行でも書ければいい」と言われて
あの言葉の数々がこんなに練りに練って綴られているのかと
天才の言葉を聞いた気がしました。
私はあの人は天才と言うか奇才で鬼才だったと思います。
眩しい文章だけを残して何も言わないで逝ったのも彼らしいと思いました。
津原さんの全ては作品にあると今は思います。
亡くなった時、悲しくて、悲しくて、
どうしようもなかったのですが、
今は残していった作品を慈しむことが
供養になるのかなと思っています。
まだ悲しくて開けない本もあるけど、思い出のある作品もあるし
遺して貰った物を大切にしたいと思います。

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