あれから1か月
早いですね、彼の訃報が発表されてから1ヶ月が経ちました。
その間に私は何をしてたんだろう?
彼なら1ヶ月あったら何をするんだろう?
最近覚えた電子タバコ(ニコチン・タール無し)を
ふかしながら、ぼんやりと考えています。
きっと、原稿をずっと書いて密度の濃い1ヶ月を
過ごすのでは?と思ったり、言葉選びで悩んでるかも
と思ったり。
今、思い出した言葉で、1日に一行でも書ければいい。
そう、言っていました。
筆が乗る時もあるんだと思います、
でも、書けない日もある。だから
「一行でもかければいい。」
それくらい、文章や言葉には気を配っていたと思います。
だからどの作品も選びに選んだ言葉で繋がれた文章。
密度の濃い、読む人を圧倒させる内容。
一度ハマると本当に深く、他の文章が軽く見えてしまう。
読んだ人には判ると思います。
今まで碌に小説を読んだことなく、
これではいけないと読書を始めたものの
読めないのでジュブナイルから始めた私にとって
津原文学は、いきなりフルボトムの赤ワインを目の前に出された様でした。
(ついでに言うなら虚無への供物はフルボトムの赤ワインを
瓶ごと渡された気分でした)
蘆屋の崩壊ですら読みやすそうな所から読んだ位です。
恥ずかしながら少年トレチアに至ってはあまりにもリアルな話に
ねえ、これってノンフィクションなの?と聞いた位です。
今思えばただのアホです。
恥ずかしすぎて再読できないでいます。
彼がまだ何処からかひょっこりと現れそうな気がしてならないのは
ちゃんとさようならが言えていないからだと思います。
キリがついていないのです。
せめてお墓でも行けるのならお別れが言えて
前に進めると思うのですが、当然ながら場所も知りませんので
お別れを言える機会は無さそうです。
なので多分ずっと宙ぶらりんな世界にいることになりそうです、
それでも良いです、出会って、遊んだり、おしゃべりしたり、
楽しかった世界にいられるのならそれで良いです。
もう時間も時間だし自棄です。それで良い。
私が死ぬまでこのまんまです。
そしていい歳になってあっちに行った時に
「ババアになったなぁw」って言われるでしょう。
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