文章を書くこと

ちょっと文章を書いたら、「ポエマー」と呼ばれることがある。ポエマーは詩を書く人、つまり詩人。詩人は評価され教科書にまでのる人だっているのに、そこらへんの「ポエマー」は「痛い」と、ちょっと後ろ指をさされがち。

でも文章を書くことが好きな人みんながそれを気にして、文章を書くことをやめたとしたら、きっと教科書にのる詩人だって生まれない。

物心がついた頃からよくわたしは文章を書いていた。小学校の頃は折り紙で作った本にオリジナルの物語を書いたり、高校受験のころは小論文がとてもすきで、授業でも毎回熱を入れて書いた。よく書けたものとして先生に自分の小論文が発表されたときは、その度に心の中でガッツポーズをしていた。

勉強がよくできるわけでもなく、学業で褒められることなんてめったにないことだったので、正直単純に、褒められたことへの喜びもあったが、文章を書くという自分のすきなことで評価された喜びは、自分にとってもっともっと大きなものであった。

最近になって、わたしは文章を書くことについて考えるようになった。誰かに自分の思いを伝えられたり、そのとき経験した感動を他の人に伝えられたり、文章を書くことにはそのような力がある。また、誰かに伝えることが目的ではない、自分自身の記録として残すこともできる。

そのときのことは、そのときにしか書けない。どこかで目にしたその言葉が印象に残っている。考えてみればあたりまえのことではあるが、時間が経つと、当時の気持ちを鮮明に思い出すことは難しくなってしまうかもしれないし、忘れてしまうものもあるかもしれない。そのままのことを書くにはそのときが最適であり、いつだってそのときにしか書けないことがあると思うと、書かずにはいられない。

自分の経験や感情は自分をつくっていくもので、誰かと全く同じは存在しない。大きな出来事でも小さな出来事でも、自分が経験したことや感じたことは自分にとってかけがえのないものだと考えている。自分の人生や感情をもっと大切にしたいという思いを、わたしは強く持っている。だから誰かに何を言われても、これからも文章を書き続けたい。

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