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スイーツメモリー(ターキッシュデライト))

ロクム(ターキッシュデライト)

ナルニア國物語「ライオンと魔女」で、ペベンシー一家の次男エドマンドを誘惑したお菓子だ。最初の翻訳では「プリン」となっていたらしい。「ロクム」も「ターキッシュデライト」も、日本人は馴染みがなかったから、苦し紛れの日本語訳だったのかなぁ。それにしても、随分な。ロクムは日本の「ゆべし」に似ている。


30年前にトルコに行った。その前にイギリスに語学留学していた私は、トルコ人の友人がたくさんできた。どうもヨーロッパの人はトルコをあまり好きではないようだ。長い歴史の中での侵略戦争や移民の問題、宗教の違いもある。

トルコには金髪碧眼の子もいれば、浅黒い肌に真っ黒な瞳、げじげじ眉毛等いろいろだ。イタリア人の女の子とラブラブで、狭い階段の踊り場で抱き合って、ブチューっとキスをしている子もいた。「おっとごめんよ、通しておくんなせい」って感じで、抱き合っている脇を通っていくのだ。

週末には各国の生徒が、〇〇デイと銘打って、パーティがあった。その国の料理をふるまい、その国の音楽とか文化を紹介するパーティだった。トルコの日には、トルコ料理がふるまわれ、体育館のステージで、琵琶に似たウードをかき鳴らしながら、男の子が、エキゾチックな歌を歌っていた。トルコが嫌いな子達は「残念だけれど、その日は用事があるんだ」とか、学生ながら、礼儀正しい言葉で断っていた。

そんな雰囲気の中、能天気人の私は、トルコ人でもアラブ人でも、仲良くしていた。トルコの人にとっても、どうやら昔、和歌山沖で難破した船を近隣の村人たちが一生懸命お世話してくれた感謝のDNAがすりこまれているのかどうか、日本人の私にとても親切にしてくれていた。特に仲がよかったのはイルクヌールという女性だった。彼女は私よりも小柄で、ゴムまりが弾むように元気な人だった。私たちは、休日を利用して、エジンバラやヨーク等、いろいろイギリス内の旅行もした。留学が終わる時、「日本に帰ったら、必ずトルコに遊びに来てね」と約束したので、帰国後、友人と遊びに行った。

今では直行便もあるトルコだが、30年前は、パキスタンのイスラマバードで一泊してからだった。イスラマバードの空港にはミサイルが並び、銃を持って警備する迷彩服の軍人がうろうろしていたし、いきなりホテルの偽バス運転手に料金をぼられたりしていた。それでも、イスタンブールで無事、イルクヌールの自宅も訪問でき、優しい家族に会うこともできた。

写真のチャイセットはその時、彼女にもらったものだ。それから30年後、アイルランドで知り合いになったトルコ人の男の子に、「イルクヌールっていう友達がいたんだよ」と言ったら、「その名前は古い名前だ」とい言われた。日本だったら「きぬよ」とか「千代」とかそんな感じなのかなぁ。

おうちカフェ ターキッシュデライトアップ

〇材料 … ナッツ 砂糖 コーンスターチ ゼラチン 

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