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芦奈野ひとし『ヨコハマ買い出し紀行』をイタリアでも広めたいなぁという思いを胸に、ロハスやフィールの大切さについてアツく語ってみた

 知らないひとも多いかもしれないけど、芦奈野ひとし『ヨコハマ買い出し紀行』っていうマンガが日本にはあって、僕の大好きなマンガでもあるから、今度、英語版を買って読もうかなぁって思ってる。
 一九九四年にスタートして、二〇〇六年まで『月刊アフタヌーン』で連載してたんだけど、僕は九〇年代のカルチャーのマニアで、その中でも上位に入るのがこのマンガ。
 あらすじとしては、世界が終末のときを迎えた時代に、人間型のロボットのアルファが、開発者の残した三浦半島のカフェで、お客さんにコーヒーを出しながら、友人と楽しく過ごしたり、季節を感じたり、旅をしたりって感じだ。
 ロハスっていう考え方僕は大賛成で、仕事するのは前提だけど、自然の中でそれなりのスピードで生きるのはいいなぁって思う。
 湘南とフィレンツェはどこかそういう気風があって、そんなムードも込みでこのふたつの土地はいいなぁと。
 『ヨコハマ買出し紀行』は、他の芦奈野作品に比べると、主人公の感情や思いが詩情たっぷりに描かれてる。『カブのイサキ』は、主人公ではないけど、メインキャラのシロっていう女性の思いより、他の人物の話が中心だし、『コトノバドライブ』は主人公の女の子すーちゃんの日々の生活と、不思議な体験についての話だから、違った趣があるし、心の平穏でいえば、どっちがいいのかわからないくらいにいい。
 僕は『ヨコハマ買い出し紀行』の初期の画風が好みで、アルファの描き方に色気とか、寂しさが漂ってて、あの大人な感じがたまんない。
 気の遣いあいとか、微妙な空気感が読んでるひとの気持ちをリラックスさせるし、想像力も豊かだけど、ゆるい感じが読んでて楽しくなる。
 このマンガの新装版の四巻に、アルフの友達のココネが、武蔵野の国の砧にある児童館に入って、絵本を読んでたら、なぞのレコードを発見する話があって、そのレコードは結局、ノイズみたいな音が流れるだけということが、児童館に来たおじさんの話でわかるんだけど、その日、日のあたる屋上で、ロボットである自分のからだが音からできてることを悟るシーンがあった。
 この話と関係あるかどうかわからないけど、このマンガ読んでるとき、試験勉強やってて、頭が疲れてたなぁと。
 なぜかはわからないけど、僕はほんとにいいと思う女性に出会うとき、たいてい頭が疲れてて、リラックスしたいなぁって思った瞬間がほとんどだ。
 マンガを描いてるひとに聞いたら、背景の描き方がふつうでは描けないようなものだそうで、画風もアフタヌーンって聞かなくてもわかるくらいアフタヌーンっぽいらしい。
 そういえば、保坂和志っていう九〇年代にデビューした鎌倉在住の作家さんのお花見会に行ったとき、オーストラリア人で、青山学院大学で文学を教えてるひとが二〇世紀以降の「退屈」との向き合い方について話してて、その談義で大盛り上がりになった。
 「退屈」をテーマにした作品はたくさんあると思うけど、『ヨコハマ買い出し紀行』はその点でも質が高いなぁと。
 結果として、アルファが得たことは世界的にはほとんど意味をなさないことだったかもしれないけど、作品として世に出回れば、芦奈野ひとしが抱えていたかもしれない感情は、世界的な話にはなる。
 「沈黙」や「性欲と縁遠い美人の美」とか、そんなことを考えながら読んでもいいし、単に、アルファが食器用洗剤で口をゆすぐとき、味覚的に不快感はないのかとか、熊手の先についた葉っぱが落ちないようにあと七秒耐えられたら今日はラッキーデーと勝手に決めつけて、七秒間微動だにしないシーンがあるけど、なんでそう思ったのかとか、アルファが持ってるカメラのメモリーがなんでキャラメルのデザインなのかとか、そんなことを考えながら読んでもいいかもしれない笑
 『ヨコハマ買い出し紀行』の再読、楽しみです。


了 

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