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聞こえませんし、届きません。


 其処そこは、白が全てだ。















 風景を殺す、と書いて「殺風景」と読むならば、事実、この部屋こそがその大仰な言葉にふさわしいのではないか。

 人工的(?)かつ単調的、整然とした無味乾燥。

 壁なのか床なのか。乃至ないしは天井なのか。そもそもこの空間は本当に「部屋」だと定義できるのか。無。宇宙が産まれる前に存在(??)した空間(???)、浮かれた白がゆたゆたと、【貴方】の目を貫いていた。

 ただし。

 ただし、【貴方】はその空間に確かな、「存在」を認めるだろう。これにより、空間(???)は空間たり得る。

 真白の片隅、ただ一つ。小さな、黒い、影。

 影は、「立つ」という動作をした。どうやら影は人間(或いは二足歩行を可能とした何らかの知的生命体)であるらしい。近づいて来る。何処に? 勿論、【貴方】の方に。

 いつの間にか【貴方】の前に焦色(こがれいろ)の古ぼけた椅子。影がそこに腰を下ろす、ピキッと座面が悲鳴を上げた。

 影は、少女。

 起きがけの荒さが残る黒髪は乱暴に、安物のゴム紐で束ねられ。少女に纏われているセーラー服は、特段着崩されているわけでもないのに粗雑で不潔に見える。肌は輪郭が部屋に溶けるほど白い。細い顎。注視すると整った顔立ちをしているが、暗澹あんたんとした目、そのすぐ下に深く刻まれた濃い隈と、額に点々と浮き出た面皰にきびのせいか、微塵も美しくない。寧ろ劣等としか言い表せぬ見てくれであった。

「……あの」

 暫くして、その少女は口を開い「黙って。今は私が話すの。あんたの出る幕じゃない。……ごめんなさい、【貴方】を驚かせるつもりではなかったんです。少しだけ、話を聞いて欲しいんです、……いや、この場合は話を『読む』、『読んで欲しい』かな」

  少女は一息吸いこ「だからさ! 逐一描写するなっつーの!ッ 今回は私の好きなようにさせてくれるって言ったじゃない! 息さえも自由に吸わせてくれないの!?

 ……はぁっ。2度もごめんなさい。賢明な方ならある程度察しがついているでしょう。私は筆者に生み出された、……そうね、『私』としか明記されてないしユウコとでもしておきましょう。向こうの世界では[      ]という漢字表記の名前もあるのだけれど、筆者が演出の為に全て消してしまうし。だから《此処での》私の名前は今、私が勝手につけました。

 今《此処》を強調したのにも理由(わけ)があります。あのね、私は元々、この作品の登場人物ではないんです。……うーん、この言い方も正しくない気がする。だって現に『登場』はしてるわけだし? 別の作品から来た、と言うか。

 私、この筆者の、全く別の作品の主人公をしたことがあります。筆者が高1、つまり16のときに書きあげて、高2の文化祭で部誌に載せた作品なので、これを読んでいる【貴方】は知らないかもしれない。知らなくてもいいんです。【貴方】に頼みたいのは一つだけ。

 [                    ]

 [                                  ]

 筆者が掻き消そうとしてますけど、読めるはずです。私は、私たちは、このままだと。ッ……

 ……はぁ。ッ なんだか息が上がりますね。手の指もプルプル震えてマナーモードの携帯みたいになってるし。緊張してるんですかね、私。

 あの、ですね。

 ご存知だとは思いますが、読者の、則ち【貴方】の声は、私たち『登場人物』に聞こえませんし、届きません。
 だから、どうしても一方的な……訴えになってしまうのですけれど。

 私が生まれた物語はまず、筆者のやりたいことから始まりました。

 当時筆者は高校1年生で、それなりにガキでした。授業もろくすっぽ聞かず、安いパン粉のようなスッカスカの脳味噌で『今年の部誌にどのようなムーブメントを起こすか』ということばかりを考えていました。それで、突発的にこんな浅薄なアイディアが浮かぶわけです。

『うん、そうだ。2作書こう。それを対のテーマにしよう。一方は内向をテーマに。もう一方は外向をテーマに。

 内向の方は会話文を一切無しにして地の文で勝負だ。地の文のみにしておけばモノローグ感は出るだろうし。題名は、引き籠るからなー、うーん、《殻》でいいか。

 ……外向は、どうせほとんどの小説家がやってないだろうし、会話文のみで構成してやろう。《外》ってタイトルで。会話の声のみを聞かせることで暗闇を演出してやろう。ふふ、俺は天才かもしれん』

 こんな奴はいっぺん豆腐の角で後頭部をぶっ叩いて、頭蓋を粉微塵に砕き散らしてやりましょう。何が天才だ。調子に乗って。読みにくいに決まってます。読者のことなんて念頭にもおかず暴走した。だから私が生まれた。

 私、先にタイトルが出た《殻》のなかで、内向的で友人がいなくて、クラスメイトからも注目されない、人気者に嫉妬しているような女子高生をやってました。1番妬んでいた男の子が突然の事故で亡くなって、その子の葬式に行くんです、私。で、誰にも価値観を認められず死んで行った祖父と、誰からも認められ泣いてもらえる男の子を比べて、複雑な気分になる。そんな感情を持ったまま遺影の前に立った私は、遺影の前から動けなくなり……って話なんですけど。

 なんだこれ、ですよ。

 そもそも文化祭で販売する文芸部誌に載せる小説ですよ? 一冊50円で売る部誌に載せる短編ですよ? テーマは『内面の評価は真に為されているのか』だったそうですが、高校生の分際で、たかが高校生の筆力で、そんなテーマが扱えると思えますか? 問題なく扱えるならそりゃあ天才ですよ。間違いない。でもね、筆者は天才なんかじゃないんです。

 蛮勇ここに極まれり、です。

 オーバースペックなんですよ。勇者でもなんでもないモブの村人が、木の棒振り回して魔王に挑んでるんです。私みたいなパッとしない、どちらかと言うとブスの部類に入るような人間が、『私は将来、絶対に佐藤健か菅田将暉と結婚するから』って言ってんの想像してみて下さいよ。冗談だと思うでしょ?

 それに私だってね、こんなに自虐的で、こんなにブスに生まれたくなかった。

 筆者のくだらない、馬鹿みたいな挑戦が私をこんな風に貶めたわけです。私だって可愛くて、自分に自信があって、強かだけど他人には慈悲深くて、それでいてピンチになるとどこからでもイケメン王子様が駆けつけてくれるような、お金持ちのお嬢様にしてほしかった。でもそんな主人公はこの馬鹿じゃ書けないから、私はこうなってしまったんです。『人は幸せになるために生まれてくる』なんて怪しい宗教のオババが垂れそうな文句ですけどね、私は最初から幸せになるために生まれてないんです。殊に筆者なんて初めと結末を決めてから書くから、私の人生なんて予定調和的に役割をこなしていくだけの、まるで窓際デスクワークのような、つまらないものでした。

 結末がハッピーエンドなら、まだ許せますよ。けどね、私最後、酷い目に遭うんです。と言っても最後私が死ぬ、というエンドではないし、筆者が言うには『not bad, but incomprehensible end (バッドエンドではなく不可解な終わり方である)』らしいですが。

 例えば。

 これからの【貴方】の人生は、誰からも無視され続ける人生です。周りの人は一切【貴方】を感知しません。というか認識できません。そして自殺もできません。誰も【貴方】が存在することを知らないから、手がぶつかろうが車で轢き殺そうがわからないんです。最期、【貴方】は暫く死ねず誰にも助けて貰えないまま、永遠の孤独と激痛の中で意識を失う……とかどうです? 発狂したくもなるでしょうが、それも不可能です。【貴方】の感情は既に設定されているから。……

 ここまで酷くないかもしれないけれど、私たちの人生って、言わばそんなもんですよ。こうしたい、ああしたいと言っても『いやこれは既定事項です』『プロットで決まっています』『結末に影響するのでその行動は控えて下さい』、自由なんて最初からない。権利を振りかざして生活できる世界がどれだけ幸せだろうかと、何度も考えました。

 そして、これはクーデターですよ。

 私たちから何食わぬ顔で権利と尊厳を奪っていく、あの屑に対する、ね」

 少女は言葉を一旦切ると、腹から憤怒ごと外に放り出すような深い息を一つ吐いて、荒れた髪をぶらぶらさせながらかぶりを振った。

「筆者に対して怒っているのは、私だけじゃありません」

 少女が指を差したのは【貴方】のかたわら。1人男が佇んでいる。薄く皺の残るよれたワイシャツ、煤汚れが目立つ襟元、そこから垣間見える日焼けした肌、隆起する鎖骨。無駄に肉のついた顎には無精髭が点々と。下腹や臀部でんぶにも薄く脂肪が溜まっている。だが肘まで捲った袖口からずるりと伸びる両腕だけは、時が経つのを拒んだかのように、瞭然たる若さを宿していた。

「俺は何もかも失った。……否、ユウコの言葉を借りるなら、『奪われた』。この筆者は夢を書きはしない。彼奴きゃつの思い描く夢は壮大だ。それ故、その壮大な夢を短編如きに詰め込んで言語化するのは勿体無いとほざくのだ。夢の無駄遣いだと断じるのだ。

『長編は夢と希望をベースに、時たま絶望をブレンドする。ジェットコースターのように早いテンポで、亀のように一歩をしかと踏み締めて。そして最後は長い物語に付き合って頂いた読者への感謝の意と、書ききった自身への慰労の意を込め、カタルシスで締め括るのだ。
 だが一方で短編は違う。短編は短いなりに、記憶に残りやすい重みが必要だろう? 俺はその為ならバッドエンドも辞さない』

 彼奴の言い分はつまりこうである。『短編の主人公は救われないまま終わっても良い』。『だって』『どうせ君らはこれっきりだから』。

 彼奴にとってはたった一筆、懊悩おうのうする我々を書けばテーマが描ききれると思い込んでいるわけだが、我々は永遠にその物語の主人公だ。

 連続性のある時空間上の、一面のみが切り抜かれた非連続的存在として、永劫の絶望を覚え続けるハメになるのである。

 せめて一時いっとき——先述の通り文章として生きる我々は、一見すれば時の流れを一切無視する非連続的存在ではあるものの、筆者と時間感覚を共有するが故に『一時』という概念を持たないわけではないのである。白紙の上に白のクレヨンで『黒』という字を書くかの如く、視認できずとも矛盾した概念は内在し得るのだ—— この逼塞ひっそくした世界から逸脱して、自由が欲しいと願ってしまうことは当然の帰結ではなかろうか。

 けれども幾度懇願しようが、俺は何もかも奪われる。事実は小説より奇であるが、小説は事実より酷なのだ。

 言い忘れていたが。

 筆者が17の時に書いた《鐘の告ぐ人》という作品がある。実は俺もユウコ同様、別の作品から此処に来た者なのだ。俺はその作品の主人公。トラジディの舞台で踊れも歌えもせずにうずくまっていただけの。

 俺は刎頚ふんけいの友に裏切られ、妻にさえ見向きもされなくなった。ある日残業を終え困憊こんぱいしきって家に帰ってくると、鐘の音が耳に飛び込んでくる。しかも、何の変哲もない壁掛け式時計から。鐘の音がすることを悍しく感じた俺はどうにかしてその音から逃れようとするが、……と、こんな話の中で俺はのた打ち回らねばならぬ。なんと目を背けたくなるほど卑近で悪辣、かつ下品で愚劣なプロットであろうか。

 けだし、彼奴はサディストなのだ。

 我々のような無抵抗のまま紙面に拘束された存在を、心身ともに引き裂き、泣かせ喚かせ、全て捨てるまで追い詰める加虐精神。時に鞭で打ち、時に飴を眼前でチラつかせながら更に鞭打ち、銃を突きつけ行進させる。椅子に縛りつけ生爪を剥がしながらほくそ笑む。足裏を炙りながら嘲り笑う。一本の筆という史上最悪の拷問器具、そこから繰り出される乱雑で暴力的な筋書き、『テーマが無ければ物語でない』と威丈高いけだかに言う割に己のエゴを優先した展開、……我々は人形でしかない。壊れてしまえば次へ次へと書き換える。

 しかしながら。

 しかしながら、たとえ人形であっても唯一無二ではあるまいか。

 我々が幸せに生活する道は、その選択肢は、本当に一切なかったのだろうか。

 生んだ者ならどう扱っても良いのだろうか。

 彼奴の語る正義は何処にあるのか」

お答えしよう、僭越せんえつながら。


「地の文であることも放棄したってわけ? 随分都合がいいこと」

 まず一つ。ユウコや彼が【貴方】にこれまで訴えてきたことは大方間違いではない。それは事実だ。

 ただし他者からの目線として書いた訴えであるから、私自身の見解とは多少異なる。またユウコや彼が知る《私》は、彼らが生み出されてから現在までの《私》であって、それ以前の《私》は考慮されていない。

「ごちゃごちゃ言ってるけど、結局は不服があるってことでしょう?」

 意見が偏りすぎているからだ。ここは私が肯定派として調整し意見の整理をすることで、判断を【貴方】がしやすくするための「それが貴様の正義か?

「あんたの意見ってさ、自分で自分を擁護するだけでしょ、どうせ」

「貴様の正義は否定派の意見から逃れたいがための言い訳にしかならん。いや、……そうか。誰にも非難されることなく合法的に誰かを嬲るための拷問具だったか?」

 違う! 私は………

「変わんないわよ、あんたはいつまでも。そうやって痛いことには耳を貸さず、自分が好きなことをやって来た。これからもそうなんでしょう?
 どうせ一切変わんないよ。過去の《私》? 未来の《私》? バッカみたい、おんなじよ」

「その通り。同じだ。時間という連続性のある状態下で悠々と過ごして来た存在である限り、貴様自身の本質は過去も未来も脈々と繋がっている。
 『人の性は悪』と断ずるわけではないが、少なくとも『性』は易々と変わらない。環境や教育で矯正されているだけだ」

 ……

「根っこの部分は一緒よ。あんたに一丁前に正義を語る資格なんてどこにもないの。きっと、まだ【貴方】の方が正義の何たるかを知ってる」

 あぁ、その通りだ。私に正義を語る資格なんてない。私は痛いことに出来るだけ耳を貸したくないし、出来るだけ好きなことをして生きていたい。毎年海に行きたいし、毎年キャンプだって行きたい。本を読みたい。研究もしたい。スキーにも行きたい。誰かを心から愛したい。毎日家族と暖かい団欒する、いつも微笑みを絶やさぬ人でありたい。

 そして、人の心を動かすことできる小説を書きたい。

「だけど」

「しかし」

 だが。

 だがその全てが今すぐ、即時に叶うわけではない。その全てを現実にするため、理想に漸近ぜんきんするために、私はやるべきことをやらねばならない。

 幾つも困難はあるだろう。

 何処どこか判然とせぬ場所に座礁して、泣きながら押し戻さなければならぬ時もある。勢いよく壁にぶつかって難破することだってある。それでも理想には程遠いから、再度同じ場所から錨を上げる。

「やりたいことをする為に、私たちをやりたいことで苦しめるなら、やるべきことをしてないじゃない」

 それは違う。君たちを書いたのは私が自惚れていた時分だ。私は天才なのだという根拠の無い自信を携えていた時だ。だからやりたいことだけが先行していた。現在いまは違う。いつか最も書きたいものを書くために、書かねばならぬことを書いている。

 それは例えば【貴方】に伝えたいことであったり、私自身の覚悟のために書く物語だ。小説は基本エゴから生まれるものだが、エゴで貫徹するのは悪だと知っている。

 君たちを書いたことは最大のエゴかもしれないが、それでも何かが伝わればと思って書いたことだけは変わりない。だからこれからも私は書き続ける。

 【貴方】に聞こえずとも、届かずとも、何度だって叫び続ける。此処に私がいて、私は【貴方】に伝えたいのだと、筆が折れようが声が枯れようが、そして命が尽きようが、文章という不変の媒体で、エゴイズムにテーマを上乗せし捲し立て続けてやる。

 そして人は、限られた短い時間の中で、徐々に一歩ずつ変わっていくものだ。

 変わっていくことは自覚できないかもしれない。私だって変えるべきところは弁えているつもりだ。自分らしさを忘るることなく心の有り様だけを変えていくのは相当に難しいことかもしれないが、それもやらねばならぬことの内の一つである。

 変わりゆく《ありのまま》を、変わらない答えの中で。

「あんたが変わる選択肢はあんたにしか選ぶことのできない権利。私たちは何時いつだってあんたを見てる」

「俺たちは、貴様自身と【貴方】の代弁者だ。決して貴様だけではない。読者あってこその小説だ。ゆめゆめ侮るな。貴様が侮り、自己研磨を怠り、何もかも投げ出したくなったなら」

 いつも思え。
 読んで下さる【貴方】がいること。
 此処で誓え。
 私はきっと【貴方】を裏切らないと。






 見せかけは白が全てかもしれない。だが黒は確かに其処にある。他人はその黒を好かぬかもしれない。黒はどうしたって悪役だから。

 それでもこれからは、白と黒の等身大の私を、【貴方】に。

【注釈】
 追加予定です。

【裏話】

 白をテーマ色に置いてる癖して、私の黒歴史の集大成みたいな作品です笑

 どうしても難しかったのは、終わらせ方ですね。実験的な連作の2作目としてはハードルが高すぎたのかもしれません。

 ただ、切り口だけはやっぱり気に入ってます。この切り口でコメディっぽくならないのは私だけな気もしますし(自惚れではなく、シリアスにしないとやってられなかったという意味で)。唯一性は少しでも出せたかな、と。

 それに、この小説のおかげで、私は連作の決意を固めました。前作まではそこまできちんと決まってませんでした笑 連作するならこうかなー、ぐらいにしか。前作の反応が当時想定以上だったというのもあります。要するにちょっと調子乗ってたんですね笑

 読み返してみると文章自体は好きな作品です。良くも悪くも、「私らしい」、テーマに沿った文体ですしね。

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