生まれたばかりの無垢な感性を持ち続ける

たとえば始めてカメラのファインダーを覗いて出会った心象の驚きを・・・
たとえばはじめて心が通じ合うと感じた友との出会いを・・・
たとえば心を撃ち抜かれたような言葉に視線が固まってしまった本との出会いを・・・
たとえばふとしたきっかけからの思索で一歩進み始めたと感じた喜びを・・・
たとえば始めて傾聴をしたときの人の深淵と繋がった輝きを・・・

そんな無垢な感性が自分にあることに喜び、
さらなる発見や出会いを重ね、
経験や努力が楽しい時を満たし、
生きてている実感だと思った。

それでも、、、

いつしかそんな無垢な感性が薄れていく。
経験を重ねるうちに慣れてしまったのか?
いつしか擦れっ枯らし消耗してしまったのか?
それとも時とともに忘却の彼方に置き忘れたか?
これが経験というやつで体得というやつなのだろうか?
すべてがマンネリとなり、リピートだと感じ飽き始める。
出会うための出会いを求めはじめ、
限りない欲望に陥る。
無垢な感性は手垢とともに汚れてきた。

そんなとき、いつか綴った日記を読んで見る。
生まれてたての無垢な感性で溢れている。
身近なすべての出会いに無垢な感性で喜んでいたんだ。
思わず笑みと涙がこぼれる。
そうなんだよ、これなんだよな。

だけども、、、

そこに戻ることはできない。
そこから時を重ね、経験を重ねた事実は変えようがない。
そのときの生まれたての無垢な感性は過去なのだ。
経験を積むとともに新たな出会いのハードルは高くなる。
それでも出会えた時を思い出せば、きっかけになる。
つねに同じ出会いはないはずなんだ。
また希望は生まれる。
きっと立ち還ることはできる。
死ぬまで無垢な感性をもち、いつも新たに自分に出会うことを忘れない。
そんな感性を持つ自分であることを信頼する。


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