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フロイトと催眠と傾聴とnoteと

ここのところ、なんだかいろいろあって「深層心理がわかる辞典」という大昔に買った本を再読しています。深層心理というだけあってフロイトとかユングとかの紹介をしているのですが、そのなかにフロイトが意識の下にある「無意識」を考えるきっかけになった催眠療法の紹介がしてありました。これは「傾聴」ともつながるのではないかと感じ、忘備録的に書き出しメモしておきたいと思います。

人には自分で何を「考えている」とか「感じている」かを自覚できる「意識」と自覚できていなくても過去にあった経験などから意識の下にある「無意識」があります。
フロイトは神経症の患者に「催眠」により「無意識」にあるものを引っ張り出し意識化させることで「症状」を消失できることを知りました。

>(フロイトは)催眠を利用して神経症の治療を行いました。催眠中に患者に、症状につながると思われる過去の出来事を思い出させると、爆発的な感情表出が起こり、症状が消失するのです。これは、患者が目覚めた後、睡眠中に思い出したことを再び思い出させ、言語化することで確実なものになります。(深層心理がわかる辞典32pより引用)

とあります。
催眠というのは、今でいうところの催眠術ですね。催眠術によって無意識の裡にある症状につながること(原因)を引き出し発話させる療法です。
最後の「言語化」とは、意識化のことで、意識と無意識の違いは「言語化」されているか、されていないかの違いだと説明されていて、この「言語化」(意識化)することで症状を消失させる、と書かれています。

と、これを読みながら、「傾聴」も同じ手法で「症状を消失」させているのかもしれないと思いました。傾聴は「症状を消失」というよりも「悩みを解消」となるのでしょうか?
悩みをもつ話し手は話すことで意識下(無意識)に内在する悩みの原因までたどり着く。たどり着いたなら、それを話すことで「言語化」する。つまり意識化する。意識化することで「悩みの解消」に向かう。
まあ「話すことで無意識の裡にある原因に辿りつく」、なんとなくそうなんじゃないかなぁってことで、今のところボクには根拠は説明できません^^;
話して話して喋って喋ってするうちに、無意識の裡に蓋をしたり壁をつくることに疲れて、ふと蓋を外してしまう。で、無意識の原因が表出して喋ってしまうとか、実は薄々知っていて忘れようとしている(無意識化しようとしてる)ことを話さずにはいられなくなる。こんな仮設が通用するのかどうかはしりませんが、結果として、喋ることつまり言語化・意識化することで悩みが解消するのはフロイトの催眠療法と似ているような気がします。

フロイトの対峙したのは「神経症」という病がある人とかかれていましたが、病までは発症していない人の「悩み」は、催眠療法によって無意識の裡にある原因を引き出されなくとも、自分でたどりつく力があるような気がして、まあ、聞き手がいたほうが喋りやすい、聞き手は話し手の無意識の裡にある悩みの原因にいたる話を引き出そうと念じるww、そして喋ってもらう。言語化、意識化させる。その辺りが「傾聴」の領域のような気がします。まあこれも思いつきの仮設ですが、病と判断される人に対峙する傾聴は、正直いえばちょっと「領域」から離れていて、傾聴には向かないのかもしれない、と思いはじめています。

さらに、ことさら傾聴による発話を必要としない多数は、普段から自らの無意識を「言語化」して悩まずにいることのできる方法を経験により知っているのかもしれません。じっくり自己を顧みて友人に話すとか、そうでなければnoteに内心をえぐり出しとエッセイや小説など書くこと、なんかは言語化、つまり「意識化」の効用があり「悩み」を蓄積しないですむ。悩みが生じても蓋や壁をつくらず、すぐに言語化して意識にもってくる。
そうしたことを自ら、自然にできることがよいことのような気もします。

さて「ここのとこ、なんだかいろいろあった」ワタシが少し前に書いた「弥勒山にて」というエッセイがあります。弥勒山の状況・条件が、ワタシの意識を低下させ無心で山を登ることをさせました。そうして蓋が開放されたワタシの頭に浮かんでくる妄想を思い出し、言語化するというセルフ実験でした。さて、それでどうなることやら、、、継続してセルフ観察してみます^^

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