人は悩みの本質はいきなり言わない

 最近やっと傾聴についての思索が現実の傾聴に近づいてきたり、現実の傾聴から新たな思索を得たりしてきているのですが、それでもやはり傾聴はむずかしい。
つい油断してしまうと以前の失敗を忘れ、繰り返してしまうことがあります。
そんなことを忘備録としてメモするとともに興味のある方におっそわけしようかなと思いました。

傾聴をはじめてからずっと意識して禁じているのですが、つい自ら語りだしてしまうことがあります。
例えばこんな感じ……(実際に傾聴した話を書くことはできないので創作になります)

新入社員の若い方が、取引先にメールを送るのに失敗して、注文を受けることができなかった。

彼はまずそう話しました。
落ち込んで悩んでいる様子です。
もう少し話を聴いていると、客にメールを送ったけど何かしらの原因で送られてなかった、と言ました。
最初は聴いていることができていたのですが、しばらく聴いていると、あなたは社会人なんですか?という質問をされました。
まぁ、と答えつつ、ここでこの新入社員として純粋に取引先とのトラブルで悩んでいると思い、多少の社会人経験者としてのその対処法を話してしまったのです。
傾聴人としては拙いと意識していたのですが、魔が差しました。

メールが届かなかったことは事実なので取り敢えず謝罪して、事情を話してもいいと思いますよ、と。

これぐらいは当たり障りのない平均的アドバイスかもしれませんね。
正直にいえば “最近の若者はそれぐらいのことで悩むんだ”と思ったことを、記録しておきます。orz
多分これも多く人は思うことかもしれません。なので人によっては、そんな小さなことで悩むな!!と叱咤激励したり、自分の大きな失敗談を語り始めたり、社会人の先輩としての教訓を語るのかもしれないでしょうね?
純粋にこれで悩んでいれば、社会人の対処法としてのアドバイスで完結するかもしれません。(それでも、しないような気がしますが)
普通の社会人の対応ではあるんですが、傾聴としてはやはり未熟なんです。

やはり実際にこれが悩みの本質ではなかった。

彼にさらに話を聴いていると実はこの件ではなく、すでに仕事のヤル気を喪失しているということがわかりました。高学歴、一流企業であり、最初はヤル気もあったのだがもう駄目だと感じているとつ続けます。
思い描く人生から離れてしまって、いまの仕事どころか社会人として生きていける気がしないし先が見通せない、できれば消えてなくなりたい、ということを語りました。
つまり、メールが送れずに取引に失敗したという話がほんとうの悩みではなかった。
悩みの本質は別にあったのです。
最初のとっかかりでアドバイスしたことは傾聴としては完全に間違いでした。
もしかしたら、アドバイスをしてしまったところで彼は語ることをやめていたかもしれません。
彼が語るのをやめることなく次の話しを引き出せたのは運が良かった。

人は最初から悩みの本質を語るとは限らない

ところで、後輩とか友人とか子どもとかに「思い描く人生を送れないから消えてなくなりたい」と言われたら何かしら言いたくあります。
傾聴をしていると、ここで叱咤激励や自分の思いや考えを主張したところで無意味だと感じます。
それを言うことで自己の気持ちは満たすかもしれませんが、悩む相手には届きません。また自分の言う通りにすればいいと押しつけるということにもなりかねません。
(そういえばアドラーもそうしたことを縦の関係として戒めていました。)

では、傾聴ではどうするか?
ひたすら聴いて、彼自身も意識していなかった彼自身の言葉を引き出して、彼自身の言葉で彼自身が内省思索し、彼自身のだした答えにたどり着かないかぎり彼は自分に納得しないでしょう。他者が他者自身の経験でいう言葉は彼のなかにはなにも入っていきません。
悩む方のなかには、ときに「何かアドバイスをください」という人もいますが、なにかを話したところで実際はまずそのアドバイスを聞いていません。
「何を言ったところで」結局受け入れられないか、アドバイスのまま実行しても自身の納得は得られず、さらに落胆することになるのではないかと思うのです。
あくまでも彼自身で答えを見出すしかありません。
もしアドバイスのような形で何かを言えるとするなら、彼自身の言葉から彼自身が何を考え望んでいるのかを洞察して、彼自身の言葉をリピートして彼の考えの手助けをしてあげることです。

これが傾聴の醍醐味なんだとワタシは感じています。

さて、この傾聴はこの先どうなったんだ、といいます。
1時間ほど彼の言葉を聴いたところで、彼からでたのは「こんなことはこれまでに誰にも言ったことがなかった」ということでした。
つまり「先が見通せなくてできれば消えたい」(ここに付随するあれやこれや)という感覚を彼自身が初めて言葉にして声にだした。それだけでなく、他者に伝えた。
他者であり傾聴者であるワタシは、その言葉を聞き漏らさず関心を寄せ聴き続けた。肯定しつつ。

これだけです。

彼の本質的な悩みについて、なんの具体的な解決も方針を持つにも至っていません。
それでも傾聴者としてこれで十分だと感じました。
彼ははじめの一歩を踏み出せたんだ、と考えます。
気持ちを絞り出し言うことで、彼自身が悩みを彼自身の言葉で具体的にすることができた。
傾聴したからこそ彼は言葉を絞り出すことができた、、、
傾聴を終えた帰り道、見上げた夜空に「スタートをきれてよかったね」という想いが浮かびました。



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