「トー横キッズ」を亡き者にする大人たち

「(トー横)界隈の子」=「トー横民」の言葉を聴きながら、ふいに口ずさんでいた。

♪・・息が詰まるほど hold me tight
・・・教えてほしい no pain tonight
Yes,you need somebady to love・・・♪

コアなトー横民の多くは、もともと引きこもりだったり、不登校だったり、発達障害だったり家庭環境が荒れていたりで、全員、はっきり言ってメンヘラ。

家庭とか学校とかっていう場になじめないだけであって、自分と同じような感性の子たちとはなじめるし、関わり合いを持ちたいと思っているんです。

同じ「人種」だと感じたら絶対に排除するようなこともない。それが界隈の文化ですね。

もともとメンヘラ体質で、家庭と学校での生活になじめないしつらい。そんな子たちがお互いに「わかるよ、わかるよ」と共感し合って、ある意味、慰め合う場だと思うんですよ。

「トー横キッズが共感し合える関係を気づきあげる訳」東洋経済ONLINE
後編

♪・・心のなかでは heavy rain
・・・いつもいつもただ love is in vain
Yes,you need somebady to love・・・♪

鼻歌は 佐野元春 So Young(1992)


やっとたどり着いたコミュニティが権力により解体された。
ただ繋がりたかっただけなのに。
初めて共感しあえた仲間なのに。
「多数」はいつもそうだ。
学校でも会社でも家庭でさえ「少数」の存在を許されない。

ホームレスに聞いたことがある。
家も町をおわれて、何もなくなって流れされた。
そこで出会った同じ境遇の人と繋がった。
路上で助け合っていただけなのに強制執行された、ってさ。

結局「多数」は、隠匿したいのだ。
自分たちは気に入らない民を輩出する社会しかつくれなかったことを。
自分たちが明るく過ごす社会に、多数にとっての日陰があることをみたくないんだ。
多数の理想とするキレイな町に、多数が思う汚点は排除される。
なかったことにすれば、多数の理想の社会が保たれる。
自分たちの固定観念は守られる。
そうだ蓋をしてなかったことにしよう。
望まぬ民は亡き者にしてしまえば問題なし。
それがいい、だって「多数」が多数にとっての間違った社会をつくるわけないんだから。

そうだ、同化しちゃえばいいのよ。
私たちの許す多文化共生以外の少数なんか。

「多数」であるNPOや支援団体が箱をつくる。
隠匿したと言われないように。
ボクらを囲う箱をつくる。
わかったような言葉で誘導される。

きれいな社会の枠にはまった箱。
それは他人が用意した箱。
このキレイな社会が用意した箱。
ボクらを矯正しようとしてできなかった箱。
ボクらをはじき出した社会が用意した箱なんだ。
そんな箱からまた弾き出されるのは目にみえている。

ボクらがやっとの思いでたどり着いたコミュニティは・・・
ボクら自身でつくったコミュニティは、、、
だれにも管理されない仲間は、、、
矯正されない仲間は、、、
「多数」の目に触れることはゆるされれないんだ。
いや、存在さえ許されないんだ。

(「子どもの自殺予防の講演会」からのnote)


ワタシは自分が、この社会の「多数(マジョリティ)」であること、決して望まぬけど知らぬまに君たちにプレッシャーをかけているかもしれないという自覚だけはもっていたい。



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