分人主義はワタシには合わない
平野啓一郎の分人主義というのを友人に紹介してもらった。
説明を聞いてネットで調べてみた。
対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である(前書)。
他にも概略や説明を読んでみたのだが、、、、、
アマゾンの5つ星評価ではかなりの高得点だった。
評価を読んでみても概ね好評だった。
でもワタシは本を読みたいと思わなかった。
「ワタシにとっては」響かなかった。
なんでだろうと、自問してみる。
わかった。
これはそもそも複数他者と上手に付き合うことを前提としているからだな。
他者との関係に生きづらさを感じることを前提としているからか。
ところがワタシが他者とうまく付き合わなくてもいいと思っている。
楽しくない関係は切っていく。
発展性がなければ縁が切れていくからだ。
実際に15年も間、深く深く対話してきた愚慫君とも縁が切れた。お互いにそういう時期だったのだろう。満たされたのである。微塵の後悔もない。
自分を分けてまでいろいろ人と付き合いたいと思ってない。
分かれていても気にならない。
嫁にも子どもにも友人にも年下にも年上にも敬意をもって同じことを言い、同じように接する。人によって言うことを分けない。立場なんか関係ない。
仕事相手に同じように言って接して、あげく切られてきたが仕方ない^^;
でもそんなワタシを気に入ってもらって仕事をくれる人もいる。
ワタシはワタシであり、そんなワタシと付き合うか付き合わないかは他者の自由。
ご自由にしてくれればいい。
もともとこの世的には面倒なヘンジン(偏人・変人)であることを表にだしている。
こんなヘンジンでも付き合っている人もいる。
ワタシが楽しいと感じているうちは、付き合います。
ワタシの「楽しい」は偏っている。
万人とはあわない。
合わそうと思わない。
嫌われてもかまわないし、孤独も覚悟している。
でも、これまではさほど孤独を感じたことがない。
というか、そもそも人は孤独なのだ。
デフォルトすぎてあえて感じられない。
天上天下唯我独尊なのである。
これは性分なのだろう。
ようは不器用なのである。
いくつもの自分を面倒みきれないのだ。
高倉健なのである、笑
でもね、分人主義という考え方の否定はしない。
人それぞれである。
それで生きやすさを感じるのであれば、自分の成長を感じられるのであれば、その人にとってはいい考えなんだと思う。
誰にもなんの縛りなんかない、みんな自由なのだ。
実際に分人主義を多数の人がいいと感じているらしい。
多数の個々が生きやすければ、それにこしたことはない。
ただワタシには合わないからいらない、というだけのことである。
それに分人主義としなくても、ワタシにとってこの人生は、生きやすいし、楽しいのである\(^o^)/
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