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同窓会のお誘いがきたのだが^^;

またやるらしい。
いわゆる中学の同窓生のアレある。
懐かしく甘酸っぱい遙かなるノスタルジー、青春のソレである。
おお、変わらんなぁ、めちゃ変わったなぁ、あれからどうしたの、今どうしているの、のナニである。
お決まりの、あの頃はどうだった、誰が好きだった、めちゃやったな、こけて走って滑って泣いて笑ったなぁ、とそれぞれのデコから浮かぶ吹き出しのセピア色の場面を一つにしてほんわりするニヤリである。
一晩かぎりのリアルからのエスケープ、見た目はふけても頭脳は子ども、なんて逆コナンくんよろしく、みんな笑顔のユメである。
なんせ40年ぶり話しはつきぬ、永遠の一晩はコイである。
時間はあっという間にすぎ、別れを惜しむのはマジである。

とまぁ、同窓会とはこんな感じなんだよなぁ、実際にこんな感じだった。
それが40年ぶりならね^^;

確かに卒業から40年には違いない。
でもね、7年前に小学校の同窓会をやり、5年前に今回と同じ中学の同窓会をやり、その前後にミニ同窓会として呑み会をやりたおし、もう懐かしさもへったくれもなく、過去も現在も話したおしている。
では、その再会を新しい友人として出会いなおす機会とできたかというと?
たとえば子どもの頃に好きだった女性と話しをしたとする。実際にした^^
その頃めちゃ恋焦がれていたという記憶だけで素敵な女性になっているに違いないなどと疑わなかったのだが、たとえ容姿はそれなりに素敵な女性であっても、思考や暮らしぶりや価値観がまるで別世界と確認してしまうという残酷な天使のテーゼ状態なのだ。染み染みと幼い記憶にとどめておけばよかったと感じてしまう。そして結局付き合わなかった運命に深く頷く。
子どもの頃仲良かったヤツだとしても社会の王道をすすんだヤツと社会の斜向いを歩くワタシと昔話以外の話しが合うわけがない。
だいたい、同窓会に参加するメンツは中学時代もはみ出ることなく、むしろリーダー格だったり、社交性もあり、現状社会のなかでももまあまあ中道以上であり、ほぼ王道を進んでいるやつが多い。さらにここにきて若干ヒマを持て余しているヤツらである(と思う)。
ああ、そうかヒマを持て余しているのは同じでも、何かと変わってしまったのはボクのほうなんだ、爆!!

つまりは、この社会的な成功を目指す「佐藤ママの魂の殺人講演」を批判したり、「野垂れ死に同盟」がどうのといったり、「ホームレスがなぜ救助を否定したのか」だとか、「なぜ人だけが自殺するのか」など「見えなかった小鳥はスルーするべきか」などと面倒くさいことをほざいているボクとはまったく話しが合ない。それが解っているからそんな話しをしない、そんなことを口に出したひにはキチガイを見る目で観られるのがオチである。
前回の同窓会からの流れで、同窓会の花である昔話と現状報告の次の段階はボクにとってはハラスメントでしかない、そのことがよく解った。

さて、そんななかでの同窓会のお誘いである。
正直にいえば、欠席ね、と即答しようと思った。
どう妄想を膨らましてもボクにとっての楽しい時間の想像ができない。
それでもボクの裡に、ほんの少しだけ「ホントに行かなくていいの?」と言うもう一人のボクがいる。
そいつは、それでも、どこかに新たな「出会い」を期待している。
どれだけお人好しなんだ、って自嘲しても、期待に裏切られても、ドロにつかっても、それでも何かを信じたいおめでたいもう一人のボクである。経験でどんなに可能性が低いと感じていても、行かなければそこで出会う可能性は0だろぉお、とヤツは裡の世界で叫ぶ。
ボクはもう一人のそんなボクが結構好きなのかもしれない。
案の定辛くてもてもたかだか数時間だよな、とか言い聞かせたりして、笑
でも、そもそも何故出会わなければならないのか?、、なんて疑問を提出したり、、

なんて、当分、どうでもいい出欠の選択を楽しもうとするか^^;


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