私が小さくなるということ、、(とあるコメントから感じたこと)

だんだん小さくなっていく、という言葉を聴き何かを感じた。
やっとこの感じを感知できるようになったのか。
ひたすら尖って自己主張と自己承認を求めていた頃はこの感覚は想像もつかなかった。
大きく、高く、鋭くなるため経験と言葉を重ねた。
それで一人になっても構わなかった。
誰にもわからないさ、我孤高也などといいながら自我が尽きた。
いつしか他者の存在に気づき他者そのものを受け入れられるようになった。
そして積極的に傾聴をすると他者のなかの自己を識り境界が溶けだした。
他者の感覚を自己の裡にみる。
自我という殻の崩壊か、自我という殻からの解放か、さてなんだろう?
やがて人ならずとも、あらゆる生を見るようになる。
新芽にひっかかった枯れ葉が気になる。
ひたすら飛ぶ鳥をつい眺めつづけてしまう。
光に浮かぶ小さな蝶に目を奪われる。
水に落ちて流れる虫は我かな。
写真を撮るんじゃなくて、写真をして撮らされている感じ。
写真を通して同化しているのかもしれない。
自我は雨と風と光に削られて小さくなっていくように。
生のみにあらず、すべての存在を感じる。
少しづつ削られ小さくなる。
自我が小さくなりすべての存在に溶けていく。
やがて完全に私は消えてすべての存在と飽和する。
人生がそこに向うものとしたなら、
これが歳をとるということならば、
歳をとるのは素敵なことです。

よろしければサポートお願いします