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「芥川、すげーじゃん」

もう10年近く前のことだけれど、児童養護施設で勉強を教えていたことがある。私の役割は「学習ボランティア」として勉強を教えること。

しかしながら私が勉強を教える生徒は、断固として勉強をする気はなく、将来はヒモになりたいという。その中学生の少年に、私は一体どんな授業を行えばよいか頭を悩ませていた。
せめて高校受験合格のためといった目標があれば、少しは違ったかもしれないが、彼は調理師学校への進学を早々に決め、断固として「勉強をしない」という意思表示を行った。
本当に勉強がしたくないなら、学習ボランティアなんて希望しなければいいはずだ。養護施設の職員はいつも忙しく、もしかしたら彼は自分専属でおしゃべりができる人が欲しかったのかもしれない。

彼は勉強する気はなく、なんなら雑談をして時間を過ごしたいと思っている。片や私は融通が効かないのか「学習ボランティア」として行っているのに、全く勉強をしないということも受け入れがたく、どうしていいのか袋小路に陥っており、その状況について知り合いに相談したことがある。彼の答えば簡潔で明確だった。
「本を音読して読ませろ。芥川とか短編で読みやすいだろう」

最初に読んだのは『蜘蛛の糸』だった。
それほど長くはない短編小説で、読み終わるなり彼は「芥川、すげーじゃん」と言った。

私が初めて『蜘蛛の糸』を読んだのは幼稚園の頃だった。あの時の衝撃は忘れていない。「もう糸が切れちゃう。みんなでつかんじゃダメなのに」とハラハラしながら読んだが、それでも手をのばしてしまうものが人間なのだということを、あの時の私は理解しきれたか定かではない。ただ、人間のうちにはそうした部分があるのだという漠然とした恐怖というか、予感を感じた。

私は『蜘蛛の糸』で二度感動した。
一度目は初めて自分で読んだ時に。二回目は少年と読んで「芥川、すげーじゃん」と自分では決して出てこない感想を聞いた時に。

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