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無限本棚の夢

この間つぶやいた無限に入るような本棚が欲しいという話、もっと具体的に自分がどのような無限本棚の夢を抱いているのか考えてみました。自分が欲しいものとは何か書きます。皆さんはどんな本棚が欲しいですか?

1.紙の本が好きだという話

本棚の話をする前に、電子書籍にすればよいのでは、という疑問に対して答えを書いておこうと思います。それは表題の通りなのですが、自分は紙の本が好きなのだということです。電子書籍が情報を摂取するのに向いていないとか、読む体験として紙に劣っているとか、そういう種類の議論にもっていきたいのではなく、自分は紙の本を手に取るのが好きであるという話です。

物質として紙の本を触る瞬間が好きで、本をめくるあの瞬間の肌触りとページがめくれる「さうっ」という音がたまらなく好きなのです。本を取り上げる時の音や本を閉じる時の音が喜びとして感じられるのです。そんな体験のとりこになっている私は今でも紙の本を入手しようと東奔西走しているわけです。

そんなわけで、紙の本を保管するにあたって、本棚というものが問題になってくるわけです。自分は比較的、本を手放すことに抵抗がないとは思いますが、それでも気に入った本を手元に置いて何度も読み返すということをしますのである程度の冊数を本棚にしまっています。そして、家の中の空間というのは無限ではないので、整理された本棚が必要という実際的な問題が前景化してくるのです。

2.実際的な本棚問題

現在、家の本棚から本が溢れてきており、本来の本棚が持つ収容能力を明らかに超えています。本棚の上にうずたかく積もっている本を見ると本たちに申し訳ないなと何となく思ってしまいますし、部屋の美観も損ないます。このまま対策を講じずに手をこまねいていると、部屋に本が溢れ、換気は悪くなり、家庭の不和を呼び、あげく本の雪崩に埋もれて床が抜け、とてつもない騒動に発展する可能性があります。

一体、本を収集している人はどうしているのでしょうか。本専用の部屋を借り上げてそこに収集しているのでしょうか。自分はそこまで本の量を収集することに妄執しているわけではないので、本格的な空間確保まで考えませんが、実際的な問題には対処せねばなりません。本の増えるままに座しているわけにはいかないのです。

幸いなことにまだもう一つ中サイズの本棚を置くだけの空間は部屋の中に存在します。まずは本棚の追加設置検討を進めることになるでしょう。そして、もう一つの対策として自分と相性の合わなかった本たちとお別れをすることです。問題点である部屋の美観を損なうことと本の量が増えてきたこととにそれぞれ対処することになります。

面白いかもしれないなと直感して購入した本でも、もちろん自分と合わなかったなと感じることはあります。それは当然あり得ることで、自分には何ということもない一冊も、他の人には珠玉の一冊となりえるのです。自分はその可能性を広げたいという意味でも結構、本を古本市場に再度流していくことが好きですね。

最近では昔よりも購入した本を面白いと思う確率が上がっている気はしますが、それは反面好きなものしか読めていないということであり、自分の殻に閉じこもっている不健全さがあるようにも思います。ここのバランスは本当に難しいですね。それでも努めてこの問題を考え続けるようにはしたいです。

話が少し逸れましたが、ここまでで、本棚という空間が有限であるということからすべての苦しみや悲しみが生まれているのではないかという気がしてきませんか? 自分はそんな気がします。有限の空間から、古本が漏れ出てくるというイメージは多少甘美なものですが、そこには血の涙が伴うような気もするのです。空間の有限性と所有の歓びと流通の連帯とが絶妙に絡まるこの問題意識から、自分は無限本棚の夢を見るのです。

3.無限本棚の夢

それは一体どんな夢なのでしょうか。提起されるところのひとつは、みんな大好き「ドラえもん」の四次元ポケットがそれだと思います。ご存じの方も多いでしょうが、腹のポケットについたそれは、ひみつ道具を無限の空間に収納することができる夢の機構です。そしてこの無限収納の夢は有限の本棚に悩む自分のような人間のみならず、家庭内の収納問題に頭を悩ませる全人類の共通の夢ではないかと思うのです。

このように本棚の問題から全収納に悩む共通の地下水脈に接続することができてなんだかうれしい気持ちもあるのですが、無限本棚においてはその空間的な収納能力の議論を無化するだけでは自分は満足しないと思うのです。それは本棚が果たす役割に収納以外にも、一目見てどんな本が置いてあるかわかるようにすることを期待するからではないかと考えるからです。

よって、自分が求める無限本棚は無限の収納能力と当時に無限の本の可視空間を提供するものではなくてはなりません。ある意味で、電子書籍というのは無限の収納能力という夢をまがいなりにもその形の一端を見せてくれているのだと思います。けれど、自分それで満足しないのは本棚の空間が欠如しているからなのです。本がざーっと並んでいて、背表紙を見ながら、どんな本があって、次は何を読もうかしらと空間に浸ることを本棚に求めているのです。

何となく自分の夢の欲望のカタチを理解できたような気がします。そして、実際的な空間、すなわち広い家が一つの回答のカタチなのでしょう。ここで悲しい結論に着地しそうです。広い家はお金があれば買えるという事実です。あまりに悲しい結論のため、ここまで文章を書いてきた事実を抹消したくなりましたが、悲しみと向き合うためにも、残しておこうと思います。

いつか、技術の革新があって、バーチャルな空間にまさにこれは自分の本棚空間だと感じられるようになれば、この無限本棚の夢もカタチになるのかもしれません。けれど、その時には再び資本の悲しき結論が待っているのかもしれません。すなわち、無限のバーチャル空間はお金があれば買えるという事実に。

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