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物覚えの悪いお釈迦様の弟子 周利槃特(しゅりはんどく)を知っていますか?

何回教えてもあの子は字が書けるようにならないんです。サトケン先生どうすればいいですか?そんな先生方の悩みの言葉を聞くときに思い出す人がいます。周利槃特(しゅりはんどく)様です!

実はすごく物覚えの悪いお釈迦様の弟子なんですよね。

でもほうき一本で悟りを開きました。


世界の多くの小学校で子どもたちは、学校で掃除を行わないそうです。掃除は専門の業者が行うそうです。理由は二つあります。

一つは、掃除するという職業は一段低く見られているということ。賢くなるために学校に行っているのに、掃除をさせるとは何事だ!という保護者が多いのかもしれませんね

もう一つの理由は、掃除を職業としている人が失業してしまうという理由だそうです。

でも、アジアの国々は日本を含めて子どもたちに掃除をさせる所が多いそうです。それはなぜなんでしょうか。

一つの理由になるお話があります。

釈迦の弟子の一人であった周利槃特(しゅりはんどく)という人がいました。周利槃特(しゅりはんどく)は自分の名前さえしばしば忘れるほど記憶力が悪かったので、背中に名札をはっておいたくらいでした。

あるとき釈迦が周利槃特を呼んで言いました。

「おまえにはむずかしいことを教えても覚えられぬであろう。

だから、つぎの言葉のみかみしめよ。

『三業に悪を造らず、諸々の有情を傷めず、正念に空を観ずれば、無益の苦しみは免るべし』(身と口と心に悪いことをせず、生き物を害せず、正しい思いに徹すれば悩みはない)」

釈迦の前からひきさがった周利槃特は、「三業に悪を造らず……」とやり出したのですが、さて,そのあとが出てきません。再び釈迦のもとにひきかえして聞き直しました。

本当にここのあたり正直ですね。よくもう一度聞こうと思いましたねえ。いつも私は感心してしまします。

「今度は忘れぬぞ。今度こそ忘れぬぞ」周利槃特(しゅりはんどく)は心に誓います。

そしてくりかえし暗誦するのですが、一日たつとすっかり忘れてしまうのです。また釈迦のところへ行って聞く、暗誦する、忘れる、のくり返しでした。数か月たちましたが、同じことです。彼は、悩んで、釈迦のもとにやってきました。

「世尊よ、私はどうしてこんなに愚かなのでしょうか。自分ながらあきれるくらいです。私はとても仏弟子たることはできません」

ここで、お釈迦様のおっしゃることがやっぱり違うんですよね。お釈迦様は周利槃特の肩にやさしく手をかけ、さとすようなまなざしで言いました。

「何を言うか。おまえは愚者ではない。愚者でありながら自分が愚者たることを知らぬのが,ほんとうの愚者である。お前はおのれを知っている。だから真の愚者ではない」

そして釈迦は周利槃特に一本の箒(ほうき)を与え、あらた改めてつぎの一句を教えました。

「塵を払い、垢を除かん」

それからというもの、周利槃特(しゅりはんどく)は多くのお坊さんのはきもののチリを払い、箒で各所を掃除しつつ、一心にこの旬の意味を考え、唱えました。

「塵を払い、垢を除かん」

やがて人々から“愚者の周利槃特”と言われる代わりに、“箒の周利槃特”とあだ名されるようになりました。何年もたったある日、お釈迦様に「 どうでしょうかきれいになりましたでしょうか?」と尋ねました。

お釈迦様は「 駄目だ。」と言います。なぜだろうと思いました。どれだけ隅から隅まできれいにしてもまだ駄目だといわれます。でも、それでも周利槃特は黙々と掃除を続けました。

 ある時、子どもたちが遊んでいて、きれいに掃除をした所を汚してしまいました。周利槃特は、思わず箒を振り上げ怒鳴りました。
「 こら!どうして汚すんだ。」
 その瞬間、彼は本当に汚れている所に気がついたそうです。

 それ以来、汚れが落ちにくいのは人の心も同じだと悟り、ついに仏の教えを理解して、阿羅漢果を得た(悟りを得た)とされています。

そして、お釈迦様は、周利槃特が一生懸命に掃除をしている姿をいつも手を合わせて拝んだということです。こうして何か月かたち、何年かすぎ、何十年という歳月が流れました。

長い間掃除をすることで、人の業である塵や垢はなかなか落ちにくいということを知り,悟りを開いた周利槃特は、自分の心の塵、心の垢をすっかり除くことができ、ついに阿羅漢(聖者の位)とまでなったのです。

というお話でした。

ある日、お釈迦さまは、大衆を前にしてこう言いました。

「悟りを開くということはたくさん覚えることでは決してない。たとえわずかなことでも、徹底しさえすればそれでよいのである。見よ。周利槃特は箒で掃除することに徹底して、ついに悟りを開いたではないか」。

周利槃特のように自分の名前を忘れるほど記憶力の悪い人はいないでしょう。その周利槃特でさえ一つのことを根気よくつづけて高い境地に到達しえたのです。私たちにもできないことはないでしょう。

周利槃特は「塵を払い、垢を除かん」の一句を心にかけ、実践したわけですが、私たちの現代社会においては、どんな一言を心にかけ、徹底して実践すればいいでしょうか。

私は「仁」おもいやりだとおもいますね。

お釈迦様の周利槃特へのおもいやり。励まし。

自信がなくなって自分なんかどうなってもいいやという人を救うのは、その人のいいところを認めてくれる人の心!思いやりだと私は確信しています。

出典 『ニューモラル⑧ 新しい自分を育てる』 広池学園出版部 編集発行 pp.84-87より


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