見出し画像

㊺ラオス旅/少数民族の暮らしぶり

2018年1月8日にボーテン(Boten)に行った後は、1月9日にムアン・シン(Muang Sing)に行って、朝市で多くの山岳民族と出会い、ラオスの民族の多様性を目の当たりにしました。

少数民族の年配の方はラオス語ができないため、市場で食材を売る時も、身振り手振りのジェスチャーを交えているのを目にして、何とも不思議な気持ちになりました。ラオス語ができない外国人に対してもあまり違和感がないのでしょうね。

タイのカオソーイと全く異なるラオスのカオソーイ、担々麺に似ている肉みそラーメンです
2000キープ(30円)を払う必要がある朝市のトイレ、有料なだけあってなかは綺麗です

朝市後は、アカ族とヤオ族の村を訪ねました。朝市の目の前にあるバス停からトゥクトゥクで30分の距離で、市内からは外れた山の麓近くにありました。

村の入口の標識、観光地化してしまっています。。。

アカ族とヤオ族はもちろん言語も着用する衣装も異なります。トゥクトゥクで降り立って歩みを開始した直後に2人の可愛らしいアカ族の少女が現れました。彼女らは、私たち2人を先導してくれました。

案内してくれた2人の女の子、日差しが強すぎて髪がかなり細く茶色がかっていたのが印象的

「アカ族とヤオ族で対立はないのか?」と尋ねてみると、「全くない」という答えが返ってきました。

アカ族の村を一回りしたところで、ヤオ族の村にも連れていった貰いましたが、アカ族の村とヤオ族の村の境界に小学校がありました。

この小学校のおかげで、アカ族・ヤオ族の若い世代はラオス語を話せることが出来ますし、アカ族とヤオ族が共存関係にあるということがわかりました。

アカ族、ヤオ族の子どもが通う小学校、楽しそうな声が中から聞こえてきました

アカ族とヤオ族は見るからに生活が異なっています。アカ族の大人はどこかに出払っているようで、家にほとんど誰もいなかったのですが、ヤオ族の女性は家の前でわらの椅子に座って刺繍をしていました。

不思議なことに、気になって刺繍の光景を見に行くと、そのわらの椅子を差し出して下さるのです。

特段、刺繍を買えという押し売りをするわけではなく、ニコニコと刺繍を続けていました。外敵がいないので、心が穏やかで豊かなのでしょうか。欲望もあまりないように感じました。

干しトウモロコシと刺繍をするおばあちゃん、絵になります
椅子をすぐに差し出して下さるヤオ族の方たち
おばあちゃんの努力の成果、何十時間もかけて緻密に糸を紡いでいきます

こういう光景を見ると、自分が日本で培った常識というものを括弧()に入れる必要があると思います。

共通語がないのに賑わいを見せる朝市、外部の者が近づいても警戒心がないヤオ族の女性たち。

現地のJICAの青年海外協力隊の方に伺った話で、彼らがラオスにきてから最もショックでカルチャーショックを受けたのは、「ラオス人は流産になった時に、その赤ちゃんをゴミ箱に捨てること」でした。

私がその時思ったのは、「ラオスは栄養状況も芳しくなく医療技術も発達していないので、子どもが沢山亡くなる多産多死が当たり前。そう考えると、亡くなった赤ちゃんをケアするという発想があまり無いのではないか?」というものです。

この話をヴィエンチャンでラオス人外交官にしたところ、何のためらいもなく”Miscarrage is common in Laos, so they don’t care so much about it.”と言っていました。

やはり、ラオスの常識は日本の常識とは全く異なるのです。日本人以上に、アメリカ人・ヨーロッパ人はこういう話を聞くと、すぐに「彼らは野蛮」という発想に陥りがちですが、ラオスが特殊なのではなく、ラオスではそれが理にかなっているのです。

逆に、ラオス人からしたら、イヌに高価なドッグフードを与えて、ベビーカーに乗せて散歩をしている老人(私が住んでいるマンションに多数)が正気の沙汰ではないと思うでしょう。

ルアンナムターでも奇想天外な体験をしました。

同行するラオスプロ(外交官)とその知り合いのラオス人夫婦(ラオス国立大学卒業の銀行員と医者)と一緒にナイトマーケットでラオス料理を食べていました(1月8日夜8時頃)。

御飯も全て食べ終わって話に興じていると、独特の衣装をきたアカ族のおばちゃん3人組が寄ってきて、彼らが作ったカバンやらブレスレットやらを売ってきました。

1品ずつ購入してお礼を言うと、もう少し買えと言ってきたので、もう十分だと返答したところ、驚いたことに何やらコインが出てきました。このコインをよく見ると、1908年のフランス統治下の銀貨ではありませんか。これは貴重な商品なようで、2人のおばちゃんしか保有していなくて、そのうち1人は1枚だけ、もう1人は2枚持っていました。

これは本物かどうかラオス人夫婦に確認すると、「自分たちもこのコインは生まれてはじめて見た」と驚きの反応がありました。

100年以上前に鋳造された貴重な品物だと思ったため、私もラオスプロも1枚ずつ購入しました。

後ほど、ラオス中央銀行の冊子で調べてみたところ、銀の含有率が90%の実在するコインだということがわかりました。

想像を馳せると、100年以上前のフランス統治下で、こんなラオスの北部で使用されていたコインを少数民族がいまだに保有している。先祖代々伝わってきた代物である貴重なコインを明日の糧のために見ず知らずの観光客に売ってしまう(しかも決して高い金額でなく)。

「なんてことだ・・・なんてあっけないのだ」と思わず唸ってしまいました。

購入したカバン
銀の含有率90%の1908年のフランス硬貨

非常に機密性が高い話ですが、このアカ族の人たちが個別に1人でモノを売っている時にずっと断り続けると、最後に少量の白い粉のようなものが提示されました。もちろん、購入していません。

どこでどのように栽培して、製造しているのか、ロマンスを掻き立てられませんか?

ラオス北部での少数民族体験は、何から何まで奇妙でした。

「地球の歩き方」はラオス北部にあまりページ数を割いていないので、ほとんど日本人観光客はいません。

「地球の歩き方」がラオス北部を取り上げないことを祈っております。

次回、ラオス北部に足を運ぶ時に奇妙な体験ができますように。。。

See you soon.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?