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㊳スリランカ旅/中国の影響力分析Part2ハンバントタ港2018年1月4日

2018年1月の記事です。

今回は、いよいよハンバントタ港を取り上げます。

Google衛星マップで以上の赤丸の箇所がハンバントタ港になります。

前々回の復習ですが、ハンバントタ自体はスリランカの南部に位置して、コロンボから250kmほどに位置しています。

自動車で高速を利用しても5時間かかるようです。

西の方にあるMataraという都市からアクセスする人が多いのですが、アクセス経路は以上のようになります。
Bus stop and city centerという場所がハンバントタの町の中心になります。そこから、西に行くと港に着きます。

それでは体験談にまいります。
現地で見聞きすることを大切にしたいと思い、今回ハンバントタ港にはほとんど予習なしでいきました。まず、現地に着いた瞬間、Booking.comで予約していたCapri Moon Hotelが存在しないことに気づきました。

バスでMataraから3時間半かけて到着したハンバントタのバス停
バス停から見た海の様子

トゥクトゥクの運転手が一緒になってホテルを探してくれた結果、Chamee Restというホテルにエアコンなし(Non Airconditioner)で1500ルピーで泊まることになりました。充電恐怖症のため、早速残り30%の携帯2台を充電しようとすると、なんとプラグの規格が違います。ご主人に「え~、プラグコロンボでは2穴のものが使えたのに、ここのoutletにははまらないんだけど、どうすればいいの?」と困って慌てふためいた顔をしたところ、「おお、わかった」と言って車に乗ってどこかに行ってしまいました。。。ぽかーん( ゚д゚)、何がわかったんだろう。

そして、10分程経った頃に、ご主人が戻ってきてこれをあげると言って、コンバーターを下さいました。宿泊費1500ルピーしか払っていないにもかかわらず、コンバーターをわざわざ買ってきてくださる男前の対応に感動しました。

Chamee Restから見えるモスク

携帯と身体の急速(休息)チャージを済ませた後には時は既に夕暮れ時。ハンバントタまでトゥクトゥクを捕まえて飛ばすことたった10分間、いよいよ念願の舞台につきました。

考えてみれば当たり前ですが、目の前にはゲートと長い銃を持った警備の人がいました。

得意の媚売り作戦を発動すべく、「ハロー、港の研究をしていて中に入ったら船が綺麗に見えると思うんだけど、この中って入れないのかなー」と尋ねると、「入れない」とつれない返事が返ってきました。

粘り強く、Google Mapを見せながら、「ここからは入れないってことはわかったけど、他に入れるゲートとかないのかなー。例えばこのルートとかは」と尋ねると、他のゲートにことはあまり知らないということでした。

既にハンバントタ港の権益は99年間中国に移譲されています。

ここから先は、中国の領土で大使館のようなものですので、当たり前ですが、事前に許可を得ている限られた人しか入ることはできません。そんなことは承知でしたが、失敗したなーと思いました。

行く手を阻むゲート
大量のクレーンがありました

もう夕方なので、あまり無理をしない方がいいと思い、ゲートの横で少年がプレイしていたクリケットを観察していると、その少年達のリーダー格の方が話しかけてきました。

夕方にゲートの真横でクリケットをする海軍の少年たち

正直に、アメリカの大学院での研究テーマが「中国のスリランカへの影響」であることを伝えたところ、彼(Lakmal Hewawasamさん)はNavyの軍人でコロンボからハンバントタ港に来てから半年になり28歳にして、ハンバントタの海軍(みんな若手ではあるが)を取りまとめている部隊長ということで、以下のような情報を矢継ぎ早に教えてくれました。

●この港は99年間の中国への移譲が決定した後も、スリランカが権益の20%を株式保有しているため、スリランカ側も責任を持って海軍がセキュリティを、税関が輸出入品管理を担当している。
●海軍はゲートの横に新たな建物を職員用の生活用に建設中である(港の中ではなくゲート外)。
●ゲートのなかの労働者はほとんどが中国人、全部で1500人ほどいる。技術者のようなスペシャリストは土日になるとハンバントタ中心部にご飯を食べにきたりするが、建設労働者たちは全く外にでない。基本的に建設労働者は3~4か月おきのローテンションであるため、3~4か月過ごせば中国に帰る。彼らはできるだけ金を使わないように、なかで全て済ませている。
●ハンバントタに従来住んでいた人は、強制退去に反対していてデモを起こしていたが、市内の住居を補償されて結局全員が移動させられた。中国は既にこのゲートの前の林を購入していて敷地を拡大するという噂もひろがっている。
●中国は建築資材や労働力を全て中国から調達してしまうので、ほとんどハンバントタの地元経済に裨益しない。注目されているほどには商業船の寄港も多くない。


そして、もっとよく港の様子を見たいのであれば、バスが対岸まで走っているから日が暮れる前に行った方がいいとアドバイスをくれました。

そこで、Lakmalが捕まえてくれたトゥクトゥクに乗り込んで、再度1時間前に降りたばかりのバス停に向かって、バスに乗って対岸に行きました。

Mirijjawilaという行先に無事着くと、目の前に大きな新しいゲートがありました。そして、恐る恐る近づくとまたもや入れなさそうな気配です。“Authorized Personnel and Vehicles Only” 

Mirijjawilaでバスから下りました
バスから降りたポイントより少し北に見えた中国のdeveloperの会社
立派なゲートと暇そうな人々

そのうち、職員が近づいてきたので、駄々こね作戦を敢行しました。「対岸のNavyのLakmalさんにこっちの方が港や船が良く見えると言われたんだけど、入れないのかね?中国人じゃなくて日本人だからさすがに難しいかね」と尋ねると、「中国人でも許可証が必要だから難しい、IDはあるの?」と返答。「パスポートはホテルに預けているから、学生証を見せるわ」と言ってフレッチャースクールの学生証を見せると、怪しいものではないとわかってもらえたようで、長い立ち話が始まりました。この立ち話の相手は、前日にハンバントタ港に来たばかりの26歳の税関職員のTharuka Peraraさんでした。

先ほどのLakmalにしても、Tharukaにしても会話の最初に歳と独身かどうかを単刀直入に聞いてくるので、スリランカ人の会話の仕方が日本人や韓国人と似ていて面白いと感じました。

彼はコロンボ大学の化学専攻で同級生だった同い年の彼女がコロンボにいるとのこと。コロンボに10日、ハンバントタに10日というローテーションなので寂しくない。昨日赴任したばかりだが、仲間と3交代制で担当をしているが、ほとんど仕事が無くて基本的に暇とのことでした。暇つぶしとして以前片手間でやっていたFXを再開しようと思うと言っていました。彼の話のポイントは以下の通りでした。

●本日は船が一隻も来なかったが、昨日(1月3日)は一隻だけきた。この船は中国車を77台積み下ろしたことに記録上はなっているが、自分が見たのはもっと多くの車だった。日本車と比べて中国車は人気がないので、スリランカ国内で売れるのかそもそも不明。ハンバントタでは車の需要がほとんどないので、積み下ろされた車は別の都市に運ばれるか積み替え用になる。
●空港敷地内に入れるスリランカ人は、海軍と税関職員のみ。海軍は銃の携帯が許可されていて、安全確保のために滞在している。
●自分は税関職員で他人事であるが、政治家はコロンボにもハンバントタにも中国プロジェクトを誘致したが、あまり地元に利益が還元されていない。ここハンバントタもラージャパクサ前大統領時に綺麗な4車線道路が整備されたが、人々の生活は変わっていない。


ついつい長話になってしまい時間も18時30分になって辺りも暗くなり蚊に刺され始めたので、バスで市内に帰ることにしたところ、彼の友人が近くの車にお願いしてくれて、その車が最寄りのバス停まで連れていってくれました。

18時30分でこの暗さ、ほとんど周りが見えないぐらい電気がありません

そのバス停で不安な気持ちでバスを待つこと30分以上。ようやくバスがきて、無事に市内に戻ることができました。19時30分になっていて、近くの食堂でてきとうに御飯を頼むと、美味しそうな鶏肉チャーハンがでてきました。これで200ルピー(160円)です。

160円鶏肉チャーハン

食堂でおじさんと色々と話して仲良くなって、また明日も来いよという言葉を後に、ホテルに帰りました。ホテルでその晩熟睡する予定で眠りに落ちました。ところが、あまりに痒過ぎて起きてみると、大量に蚊に刺されていて痒いのなんの。

やはり、田舎のホテル、蚊が大量にいます。虫よけスプレーを体中に振りまいて寝ているにもかかわらず、スリランカの虫よけは弱すぎて全く効かないのです。。。せっかくタイで虫よけを買ったのに、ホテルに忘れてきたことが恨めしく感じられました。

その後は、12時になって停電になり、部屋のファンが止まり電気もつかない状態で、蚊が耳に近づいて鳴き声が聞こえる度に起きるという地獄と闘って、寝不足のまま次の日1月5日を迎えました。

毎年、この時期は新年の目標を決めて、よし2018年に備えるぞと意気込む日なのですが、蚊に負けて疲れが溜まったままだったので、ひとまず朝早くから昨日Lakmalと会った港に向けて散歩することにしました。

散歩していると、街(というよりも村)の人が友好的で、上半身裸のおじさんと立ち話をして、「港ができるまでは、対岸の町まで車で3分ほどだったのに、いまでは迂回して15分以上もかかるようになってしまった」という話を聞きました。

また、Women’s organizationに勤めたばかりの地元生まれ地元育ちのシャムリーナさんからは、「港に住んでいた漁業関係に携わっていた友人はみな強制退去になった。港ができてハンバントタが有名になって多くの外国人が訪れるようになったし、中国人も見かけるようになったが、それ以外は特段の影響はない」というコメントを貰いました。

朝方に港まで歩いていったため、街の雰囲気がよくわかりましたが、本当に何も存在しない村という感じです。村の人も経済発展などどこ吹く風という感じで、港があろうがなかろうが生活は何も変わらないという雰囲気を感じ取りました。

昨日の夕方きた港のゲートに挨拶をして、念のため入れないか聞いてみると、またもやNoとのこと。ま、当然の反応です。その後、周辺探索のため正午までひたすら歩いて日射病になりそうだったので、午後にコロンボに戻ることに決めました。

さて、事前の予想どおり、港のなかには立ち入ることができませんでしたが、ニュースや新聞記事からはわからないハンバントタのリアルをつかめることができたのは大きな収穫です。LakmalさんとTharukaさんの連絡先を入手できたので、追加情報は直接メールにてやり取りしようと思います。

学びを敢えて3つに集約すると、以下になります。
●メディアが大々的に取り上げる割には、港の利用量(中国船の寄港)が少ない。
●ハンバントタ地元経済への裨益はほとんど見られず、むしろ強制退去にあった人や隣り町との連結性が失われたというマイナス面が目立つ。
●地元のスリランカ人は雇用されず、港内のスリランカ人は海軍と税関職員のみ。中国人は技術者と肉体系労働者では待遇が異なり、地元民が肉体系労働者を見る機会はない。


次回は、翌日1月6日の朝のハンバントタの雰囲気と上記のヒアリングの信ぴょう性を確かめるための、ファクトチェックをしたいと思います。

See you soon from Bandaranaike International Airport(Colombo)

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