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逸脱と異議申し立ては違う–ミニ読書感想「反逆の神話」(ジョセフ・ヒースさん&アンドルー・ポターさん)

「反逆の神話」(ハヤカワ文庫)は、社会の分断が叫ばれる現代に必読の書ではないかと感じた。ジョセフ・ヒースさんとアンドルー・ポターさんが一体的に著した思想書。反体制を訴えるカウンターカルチャーこそが、その体制を支えているのだという矛盾を暴く。

カウンターカルチャーが体制を支えるとは奇妙な論に聞こえるが、本書の序盤ですぐに納得する。

分かりやすい例で言えば、ナイキやアップルを思い浮かべるといい。「人とは違う道を行け」と全身で訴えるこれらのブランドは世界的に売れている。でも、たくさんの人が人と違う道を行くとすれば、それは「人と同じ道を行く」ことになるはずだ。だから本来ナイキやアップルを支持する人ほど、ナイキやアップルを買わないはずなのに、おかしなことになっている。

これは資本主義や消費経済が本質的に「差異」を志向するからだと著者は説く。私たちは人と同じものが欲しいのではなく、人とは違うものが欲しいのだ。唯一無二の自分という存在を肯定するモノとサービスを求める。

つまり、カウンターカルチャーは資本主義と消費経済の「対極」ではなく、「典型例」なのだ。

にもかかわらず、カウンターカルチャーは時に、体制を革命することを標榜する。この「神話」あるいは「欺瞞」こそが、著者の指摘するカウンターカルチャーの最大の欠陥だ。

実際には、カウンターカルチャーは体制を支えている。強固にすらしている。にもかかわらず革命を叫ぶ。すると、体制が「文化的に間違っている」とか「根本的に間違っている」とか、拡大解釈的な論に走る。現実を改革出来ないのはカウンターカルチャーがある種の「主流」だからこそなのだが、メインカルチャーが「反抗を取り込んでいる」との論に走ることで矛盾を回避する。

これは本書の中で「逸脱」という概念で登場する。資本主義や消費経済は根本的に間違っているから、それを糾弾するためにカウンターカルチャーを体現する。しかし実際それは、「ポーズ」だけの反抗をしているだけで、物事を変える気はさらさらない。

社会を変えるために必要なのは逸脱ではない。むしろ、異議申し立てだというのが本書のメッセージ。この違いは言葉にすると分かりにくいのだが、たとえばキング牧師とマルコムXを思い浮かべるとよさそうだ。

キング牧師は黒人の公民権の実現を訴えたが、米国社会の基本的法理までは否定しなかった。白人社会と共に改革を志向した。一方でマルコムXは、白人社会が構築した論理、倫理何もかもを暴力で破壊しようとした。

もちろん結果論ではあるが、物事を動かしたのはキング牧師の異議申し立てだった。

逸脱よりも異議申し立てというのは、「現実を見ろ」というシニカルな言説と紙一重だからこそ、慎重に扱わないといけない。しかしながら、逸脱が何も変えはしないというのは、日本社会のありようを見ても頷ける話だ。

資本主義が強固なように、ためにならないカウンターカルチャーもまた頑強で、ある種の麻薬のようなものなんだと理解した。麻薬に取り込まれてはならない。

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