見出し画像

分からないで済む世界ーミニ読書感想『ワンダフル・ライフ』(丸山正樹さん)

丸山正樹さんの『ワンダフル・ライフ』(光文社文庫、2024年1月20日初版発行)が胸に残りました。ある事故で、頸髄損傷の重度障害が残った妻を介助・介護する男性を軸に展開するストーリー。重い障害を物語の材料ではなく、主題(テーマ)として正面から捉えた作品だと感じました。

発達障害のある子を育てる親として、本作にはリアリティを感じました。それは、障害というものを間近で見てきた人のリアリティ。「単行本時のあとがき」によると、作者は登場人物と同様、頸椎損傷の障害がある家族と生活をされているとのことで、そうした背景が無関係ではないのかもしれない。

たとえばリアリティを感じたのは、こんなシーンでした。

障害を負った妻が病院から退院する日。同室の、最も障害程度の重い患者と、別れの言葉を交わす。その時の、介助者である(健常者の)夫=主人公の語りです。

「『生きていれば、必ずいいことがあるから』って」
 妻は一瞬返事につまったが、かろうじて「はい」と声を出した。
 その時、柴田の顔が奇妙に歪んだ。どこかが痛んだのだろう、とわたしは思った。
 それが「ほほ笑み」ではなかったのかと気づいたのは、カーテンが閉まった後だった。

『ワンダフル・ライフ』p258

主人公(健常者・介助者)には、重度障害者の患者(柴田)の顔が「奇妙に歪んで」見える。どこか痛いのかな、と主人公は思う。しかししばらくして、それは微笑みでなかったか、と思い至る。

「生きていれば必ずいいことがある」という励ましを健常者がかけるならば、その時に付随するのは笑顔でしょう。でも、同じ言葉を障害者が口にする時、それが笑顔らしく見えなければ、笑顔に扱われない。障害は容易に、苦悶と結びつく。

実際本作では、脳性麻痺の当事者が登場し、不随意に、つまり自分の意思とは関係なく表情筋が動いてしまうことも解説される。もしも主人公にこうした知識や当事者との接触経験があれば、カーテンが閉まる前に微笑みだと気付けたかもしれない。

障害と生きること、あるいは障害のある家族と生きることは、こうしたその人の当事者性を知ることである。そして、慣れることである。一方で障害と無縁であることはつまり「知らなくて済むこと」である。この断絶が、ワンシーンに表れている。

これはつまり、「健常者の世界では、障害者の現実は知られていない」というのが実態であることを指します。本作では「障害者は世界に存在しない」という端的な指摘もされている。

今のところ自分たちは、世間一般の人たちにとって「異形の者」なのだ。偏見や差別以前に、そもそも「自分たちの世界に存在しない者」なのだ。それゆえ、出会うと恐れ、忌避しようとする。
 だからまずは、自分たちが間違いなくこの世に「存在する」ということを世間の人たちに分かってもらわなければならない。障害の種類や程度にかかわらず、「あなたたちと同じ人間」としてこの世界で生きているのだと。

『ワンダフル・ライフ』p210

創作者が障害をテーマにしようとするならば、まさに差別や偏見を取り上げると思います。それが問題であろうというのが、健常者の直観であろうと思う。でも実際は、この登場人物の言うように、世界は「偏見や差別以前」なのです。まるで存在しないかのように扱われ、姿を現すと恐れられ、避けられる。障害者やその家族の抱える孤独感の正体です。

本作はこうしたリアリティを含むからこそ、読んでいて決して気持ちのいい作品ではないかもしれないし、結末に納得いかない人も少なくないのではないかと思います(でも、ミステリーとして巧みなので、物語としては文句なく楽しめるとは思います)。でも、嘘のない作品だと思います。こうやって物語を通じて、「同じ世界に存在する」ことを証明してくれるのは、ありがたいことです。

---

▽同じく丸山正樹さんの聴覚障害をテーマにした『デフ・ヴォイス』もおすすめです。

この記事が参加している募集

#推薦図書

42,575件

万が一いただけたサポートは、本や本屋さんの収益に回るように活用したいと思います。