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日が昇るまでの特別な時間ー読書感想#26「明け方の若者たち」

カツセマサヒコさん「明け方の若者たち」を読み終わりました。本を閉じて胸の中に残った感情を整理したいと、いまnoteを開いている。たぶんそうやって、気持ちを落ち着ける言葉を探してしまう、もやもやとした読後感が、この物語の魅力なんだと思う。曇っていつ泣き出すか分からない梅雨空や、カーテンを閉めた真っ暗な部屋が似合う本。でもタイトルにある通り、描いているのは「明け方」な気がしている。夜を明かし、来るべき朝を呪い、再びマジックアワーに出会えるのを願いつつ迎える、ただ美しい特別な時間の物語。


底の見えない沼であり、人生の全盛期

冒頭の、この言葉にとても惹かれました。

 もう五年も前のことになる。それでも高い解像度を保ったまま、当時のことを思い出せてしまう。あの日から始まった彼女との時間は、底の見えない沼であり、僕の人生の全盛期だった。(p4)

底の見えない沼であり、僕の人生の全盛期だった。沼であり全盛期ってどんな時間なんだろう。それを探す物語だったな、と振り返って思う。

全盛期「だった」、というのも大事なことだった。全盛期にある「僕」が語る物語ではない。全盛期だった頃の話を、おそらく全盛期にはない僕が思い起こす物語。きっと「彼女」との顛末はいい風には終わらないし、だけどその頃を越すさらなる全盛期には出会えていない。主人公の「僕」は、きっと失ったものが大きくて、いまもそれを引きずった人なんだろうな。そういう人の話を聞きたかった。


何者にもなれないでいいのか?

「明け方の若者たち」を貫く背骨は、「何者かになりたいけど、何者にもなれない」という、たぶん結構な数の人が経験した挫折感だった。

たとえば「彼女」と下北沢に演劇を観に行った帰り道。社会の歯車になるのに疑問を持った会社員たちの絶望感を描いた舞台。彼女はこんな感想を語る。

 「社会人になったら、イイ会社に入ったら、何者かになれるかとおもったのに、そんなことないんだなあって」
 「そうだねえ」
 「それ考えてたら、逆に、なんか楽しいなっておもっちゃった」
 「え、なんで? しんどくない?」
 「だって、何者か決められちゃったら、ずっとそれに縛られるんだよ。結婚したら既婚者、出産したら母親。レールに沿って生きてたら、どんどん何者かにされちゃうのが、現代じゃん。だから、何者でもないうちだけだよ、何してもイイ時期なんて」(p41)

彼女の言うことはもっともで、名のある会社に入ったところで何者になれるわけではない。そう考えたら、何者かに決められないことは、縛られないことなのかも。

ただ一方で、僕は彼女と出会った後に卒業、入社した印刷会社で、クリエイティブな仕事を希望していたのに総務の仕事に配属され、悶々とする。唯一の親友、尚人と酒を飲んだ後は、公園でストロングゼロを飲みながら、それぞれが考えるクリエイティブなアイデアをブレストする。

 公園の中央にあるオブジェに腰掛けたり立ち上がったりしながら、僕らはストロングゼロが空になるまで、予算度外視しの妄想を延々と語り続ける。尚人はいいアイデアが浮かぶたび、iPhoneのメモにそれを保存した。翌朝にこれが議事録となって、社内メールでまた送られて来る。果たしてそれはいつ使うものなのかはわからない。ただ、その時間だけ、僕らはクリエイティブへの夢を少しだけ見ることができた。(p90)

酒を飲みながら公園で斬新なアイデアを語り合う。特にいいものをiPhoneのメモに保存する。これ自体が陳腐で、クリエイティブさのかけらもないことは分かっていても、僕と尚人は少しだけの夢に心を和ませる。正直、痛い。痛いけど笑えない。たぶん同じような幻覚剤を自分も必要としていたし、今だって必要としてる。


明け方ってどんな景色だっけ

彼女との泥のような全盛期はどうなって、どんな結末を迎えるのか。何者かになりたい僕は、どういう進路を選び取るのか。追いかけて、最後のページを閉じ終わった後に思うのは、「明け方ってどんな景色だっけ」ということだ。

「明け方の若者たち」の最終盤には、マジックアワーというキーワードが出る。だけど、マジックアワーとはたしか、日没前に空が美しいグラデーションをなす一瞬の時間だったはず。だとしたら、なぜ本書のタイトルは明け方なのだろう。

自分が大学生だったときの明け方を思い出してみる。たいていそれは、友人と飲み終えた後の時間だ。あるいは、一人で論文なり課題なりと格闘し、必要だったか分からない徹夜を終えた後の時間だ。世の中はまだ動き始めていない。だけど自分だけは頑張った、楽しんだことを誇りたくなるような、不思議な高揚感。

社会人になって、ちょうど物語の僕や尚人と同じように苦労しながら働き始めて、明け方はむしろ嫌な時間だった。その時間に目が覚めるとき、たいてい仕事に悩んでいるときだ。眠りたいのに眠れず、目を覚まし、来るべき朝が来なければいいと、呪いたくなるような気持ち。

僕や尚人が、あるいは彼女が、迎える明け方はどちらなんだろう。その両方を含んだ、境界のような明け方なのかもしれない。若者というのはちょうど、何も始まっていないのに、何かをなしたような、でもこの先は訪れて欲しくないような、どっちつかずの存在かもしれないな、と思う。

同時に、僕と尚人と物語を歩んだ読者としては、彼らが間違いなく、ひとつの夜を超えたなとも思う。それは希望に満ちた意味だけじゃなくて、裏返すと、マジックアワーをもう終えた、ということでもある。次のマジックアワーへ向かって歩かなきゃいけない。彼らも、読者も。(幻冬舎、2020年6月10日初版)

本書は「版元ドットコム」さんで、紹介目的の書影の使用が許可されているのを確認できたので、フロント写真で書影を使わさせていただきました。本書を手に取った理由の一つは、この書影にとても胸を打たれたからでした。

次におすすめの本は

朝井リョウさん「死にがいを求めて生きているの」(中央公論新社)です。これも小説。しかも、まさに「何者かになりたくて、なれない」、そういう承認欲求をストレートに扱った物語です。たぶん「明け方の若者たち」とリンクするし、読後のもやもや感を(良い意味で)深められる作品です。


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