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夢と歯車ー読書感想「本のエンドロール」(安藤祐介さん)

単調な目の前の仕事に、どれだけの意味があるだろうか。あるいは反対に、夢みたいなことばかり考えていて、地に足がついていないのではないだろうか。仕事に向き合おうとするほど心を離れない葛藤がある。安藤祐介さんの小説「本のエンドロール」は、葛藤に苛まれる人にこそ響く物語だった。「5月病」に陥った新社会人にもぴったりだと思う。講談社文庫、2021年4月25日初版。


印刷会社は裏方かメーカーか

舞台は印刷会社。本そのものをテーマにしたお仕事小説はあれど、その一番の裏方にあたる印刷営業や印刷工場にスポットを当てた作品は珍しい。

冒頭、この印刷会社の会社説明会で幕を開ける。「夢はなんですか」という学生の質問に、主人公の営業マン・浦本は「印刷がものづくりだと認められること」と熱っぽく返す。ただ本を刷り上げるだけではない。筆者や編集者と心を通わせ、本というものづくりに関わるメーカーなのだと胸を張る。

対して、会社のトップセールスマン仲井戸は「目の前の仕事を手違いなく終わらせること」だと冷淡だ。印刷会社は、印刷会社。発注を正確にこなし、出版社にミスなく本を届ける。メーカーを支える裏方だという自負だ。

主人公とライバルが、そのまま理想主義とリアリズムの象徴として対比される。この関係が鮮やかで、非常に読みやすい。主人公に近い「夢や思い」派と、ライバルに近い「現実や実務」派が、互いに関わり合う形で物語が進む。

実際の人間はそこまで単純ではないけれど、一方で理想に走りやすいタイプと冷静にやっていきたいタイプに分かれるのも事実だ。本書は、そのどちらにとっても面白く、あるいはヒントになる小説となっている。


意地のある歯車

とはいえ、「本のエンドロール」は勧善懲悪ではない。こういう対比構造だと「やはり理想が大切」「理想ばっかり言っても仕方ない」のどちらかに傾きやすい気がするが、筆者は慎重に回避する。そこが素晴らしいと思う。

印象的なシーンがある。

著名なデザイナーが何度も無理な注文をつけ、土壇場のちゃぶ台返しをしてくる。そこで、営業マンの主人公はデザイナーと印刷工場の職人が直に話す場面を設けた。デザイナーは「おたくらは歯車になればいい」と言い切る。

そこで、あるベテラン職人が言い返す。

 これまで無言のままだったジロさんが、手を挙げた。
「大先生こそが頭脳でありモーターで、周りの歯車は何も考えずくるくる回ってりゃいいということですか」
〈おたくの下手なたとえ話など聞きたくないのだが〉
「失敬。しかし、どんなに性能がいいモーターでも、単体では何も生み出せないのは確かです」(p170)

デザインがなければ印刷もない。それは間違いないが、デザインだけでは形にならないのもまた間違いない。歯車の一つ一つがモーターを駆動させる。それが現実を侮れない理由だし、主人公のライバルがあくまで実務を重視する理由だ。

しかし、職人の話には続きがある。

「歯車にも意地があります。特に我々職人は『できない』と決め付けられれば『できます』と言ってみたくなるもんです。実際に、できると思っとります。ここは任せてもらえませんかね」(p170)

歯車にも意地がある。

夢が実務を伴ってようやく形になるように、実務には思いがこもって高度なレベルになる。職人の言葉は、実務にもまた人の気迫や情熱が入り込むことをばしっと伝えている。自分たちは単なる歯車ではない。意地のある歯車だと。

そう考えると、理想と現実は必ずしも相剋関係だろうかと思えてくる。むしろ、理想を駆動させるための現実のあり方や、現実に磨きをかける夢のあり方について、考えられないだろうかと思えてくる。本書はそういう物語だ。

全てのページを閉じると、タイトルの「本のエンドロール」が非常に染み渡る。厳密には、本には映画のようなエンドロールはない。しかし奥付の出版社名や印刷社名には、実は無数の夢と、同じ分だけの実務があることが見えてくる。

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