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業ごと愛するーミニ読書感想「あちらにいる鬼」(井上荒野さん)

井上荒野さん「あちらにいる鬼」(朝日文庫)が、読み終えた後も胸に残って離れない。瀬戸内寂聴さんがモデルの、恋愛小説ならぬ「愛人小説」。それを、愛人であった男性小説家の娘である井上荒野さんが書くというから驚きだ。さらにびっくりすることに、本作は決して不倫を断罪したり、突き放すものではない。真正面から「業」とも言える人間の愛を捉えていく。

語り手が面白い。一方は、男性小説家と愛人関係にある女流作家。そしてもう一方は、小説家の妻なのだ。奪う方、奪われる方双方の視点で物語が進む。

普通に考えればドロドロの愛憎劇になりそうなものだが、不思議なことに2人の女性はそういう対立に陥らない。特に妻の方は、女流作家にも夫の小説家にも憎しみを抱かない。「そんな態度は周囲に理解されないだろう」と自覚しながらも、憎まない。「周りは許せと言っても絶対に許さない」という典型的な「サレ妻」の態度ではないのだ。

女流作家も、小説家を本当に奪いたいかというとそうでもない様子が浮かぶ。そして、そんな道ならぬ恋にしか心がたぎらないような自分自身にどこか嫌気もさしている。だから女流作家は、小説家との関係を清算するために出家することを選ぶ。

この出家の儀式について「見守りにいくべきだ」と妻が小説家に進言するシーンは象徴的だ。愛人の人生の節目に立ち会うべきだと夫にすすめる。ありえない愛の形、その凄み。しかも妻は嫌がらせではなく、本心からそのように諭す。案の定、小説家は心底面食らっていた。

本作はノンフィクションではなく小説であり、だからこそどこまでが事実で何が創作なのか分からない。しかし解説によると、井上荒野さんは生涯、「父の愛人」であった瀬戸内寂聴さんと交流していたそうだ。「世間からすればあり得ない関係」を結んでいた井上荒野さんだからこそ描けるリアリティが本作には溢れている。

不倫は文化だとか、そういう話ではない。本書が描き出すのは、業としか言えない人間の愚かさを、それでもまた愛してしまう人間の奥深さだ。業ごと愛するということが、人間にはできてしまうのだ。

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