積読は未来への置き手紙

宇多田ヒカルさんの『Letters』という曲に「言葉交わすのが苦手な君は いつも置き手紙」という歌詞がある。置き手紙。積読をしていると、これは置き手紙だと思うことがしばしばあります。正確には「あの頃の自分が残した置き手紙だ」と、しばらく経ってから思うことがある。

2024年1月、逢坂冬馬さん『歌われなかった海賊へ』と、小川哲さん『君が手にするはずだった黄金について』の2作を読み終えました。honto(ジュンク堂系の読書管理サービス)を振り返ると、買ったのは23年11月21日。おおよそ2ヶ月後になって、ようやく読み終わりました。





2ヶ月も経つと、「読みたいと思った自分(買った時の自分)」と「読む自分」は全く同じとは言い難い。1月に入って買った本はたとえば九段理江さん『東京都同情塔』で、芥川賞・直木賞の結果が気になっていたりします。

でもきっと、昨秋の自分は『歌われなかった海賊へ』を読みたくて仕方がなかったし、『君が手にするはずだった黄金について』を買わずにはいられなかった。そんな自分の存在を感じることができたのは、この2冊を積読していたからでした。

その時は、人気作家2人の最新作が話題になっていて、まさに文芸界の最先端の一つだった。そういう波に乗っていたいという意味では、『東京都同情塔』を買った自分と結局変わってないとも言える。

「君はこの本読むべきだよ、好きだよきっと」。そういうメッセージを過去の自分から受け取る。まあ面白い。そりゃ自分が自分に薦めるんだから当たり前だけど、自分が自分なんだなと、再確認するイベントにもなっています。

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