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人生がどうしようもなく変わってしまったときにどう生きる?ーミニ読書感想『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』(谷川嘉浩さん)

哲学者・谷川嘉浩さんの『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』(ちくまプリマー新書、2024年4月10日初版発行)が、学びになりました。衝動とは、自分でもコントロールできない、人生の針路を変えてしまうエネルギーのこと。これは人間内部から起こるモチベーションとは必ずしも一致しなくて、外部からやってくるものでもある。タイトルはポジティブですが、私はこれは、事故やトラブル、予期せぬ人生の転機に「それでも」生きるための手掛かりを教えてくれる本として読みました。


衝動とは何か。著者は、天動説全盛の時代に地動説を探究する研究者の卵を主人公にしたマンガ『チ。』を鍵となるメタファーにして、次のように説明します。

自分でもコントロールしきれないくらいの情熱、過剰なパッション、非合理な欲動、直感ーー。こういう言葉で指し示そうとしているのは、やむにやまれぬ感覚、つまり合理的な説明のつかない衝動のことです。理屈で組み立てたものでもないし、メリットやデメリット、パフォーマンスや効率を考えて生まれるものではありません。エビデンスもない。

『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』p16

衝動は、モチベーションとか、将来の夢とか、舌触りが良くて、自己実現全盛の現代で語られる言葉とは異なると著者は語ります。その意味で、キャリアデザインとは違うのです。それについてはこんな風に説明してくれている。

その役割を果たすために、未来の自分が過去や今の自分と本質的に同質的であると前提せざるをえません。未来像から逆算するとしても、今の私が想定可能な範囲で考えるほかないという意味で、未来にいる自分は今の私と質的に同じです。従って、キャリアデザインは、自分の「溜め」を抑圧・無視した上で未来を思い描くことを暗に求めざるをえないわけです。

『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』p163

キャリアデザイン的思考は、過去・現在・未来の自分が連続的で、予測可能なことを前提とする。でも衝動はある日突然気付くことがあるし、その瞬間、過去の自分とは同じではいられない。未来の歩みも大きく変えてしまうパワーがある。

この話を聞いた時、私は「ああ、我が子に発達障害がありそうだと気付いたことも、私にとっては衝動だったんだ」と腑に落ちました。

著者は、衝動を幽霊のメタファーで説明する。それは、まさに取り憑かれるように自己を動かす。ある種、望まなくても自らにやってくる存在です。

子どもに障害があるかは、生まれてみなければ分からない。そして、障害があると気付いた時、親の人生はがらりと変わります。気付く前の人生には戻れないし、戻る気もない。たとえば私は、それまで中毒的とも言えた仕事が(ある意味では)「どうでも良く」なりました。そんなことよりも早く家に帰り、子どもと関わりたい。妻の不安に耳を傾けたい。これは、まさに今思えば衝動。新しく私を燃焼させるエネルギーでした。

ここでいう障害は、さまざまな物事に置き換え可能です。親の介護、自身の大病、交通事故。人生はさまざまな物事で大きく変化し、その時、キャリアデザイン的な過去・現在・未来が連続的な発想では、どうにも対応できない。明らかに不連続です。

幽霊に憑かれるタイミングが選べないように、こうした転機もタイミングは予想できない。それが来たことを「なかったこと」にはできない。つまり、本書で紹介されている「衝動との付き合い方」は、「人生を激変させる転機の乗りこなし方」と読み替えることが可能なのです(と思うのです)。

たとえば、そもそも衝動を幽霊に喩えるようなメタファーの力もその一つ。衝動とは何かを厳密な言葉で考えるよりも、幽霊のメタファーはかなり見通しよくしてくれる。著者もメタファーの効果を評価しています。

メタファーというのは、「たとえ」のことだと思ってください。メタファーが持っている構造(一連の連想)は独特の力を持っていて、知ろうとする謎の相性さえよければ、捉えどころのなかったはずの謎に対して「輪郭」を示してくれることがあります。つまり、メタファーは私たちの探究を導いてくれるのです。

『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』

また本書で重きを置かれている衝動の見つけ方・扱い方である、観察・解釈。衝動は、偏愛という形で顕在化する。だけど、偏愛を額面通り見るだけでは、奥底にある衝動には辿り着けない。

ジャマリロは、〈ハキリアリを見るべきなのに、目が野鳥を追いかけてしまう〉という偏愛の経験を適切に解釈していく中で、自分の抱えている衝動を認識しました。色彩豊かな野鳥を実際の生息地で見つけて観察し、それについて語り合うことを楽しみたいという衝動です。特定化された個人的な好み(=偏愛)を適切に読み解いた結果、生物学者になるという道を諦め、これまで予想もしない、しかし自分に一層フィットしたキャリアを選べるようになったわけです。

『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』p71

たとえば我が子の障害に向き合うとき、初期的な表出感情は「普通になってほしい」ではないでしょうか。そのために療育を選ぶし、療育の中で成長する我が子に喜びを感じる。だけど、やがて気付くのは「普通って何なのだろう」とか「この子にとっての普通であることと、定型発達の普通にこの子が合わせることは違うのでは無いか」という疑問です。ハキリアリを見るべきところを野鳥に目を向けてしまうような、目移りです。でも、その目移りの中に「私が願っているのは、普通に育つことではないのではないか」という重要な違和感が眠っている。

本書の魅力・学びを語ってきましたが、書いていてもずいぶん回り道をしているように感じます。なかなかストレートに伝えられていない。けど、衝動に付き合うとは、そういうことなのです。答えは簡単に出ない。そりゃそうです。なにせ人生が変わってしまったし、なのにこの衝動は、まだ止まることを知らないわけですから。

ここまで書いてきて、著者が読者に伝える衝動との付き合い方は、ある種の「答えが出せない状況にとどまる力」、つまり「ネガティヴ・ケイパビリティ」なのかもしれない、ということです。

ちょうど著者の谷川さんは、以前、共著で『ネガティブ・ケイパビリティで生きる』を上梓されています。この本も面白かったんですが、実はこの本も「ネガティブ・ケイパビリティの身につけ方」みたいなシンプルな答えは書いていなかった。

衝動に対する付き合い方も、ある種のコツというか方法論はあれど、それは結局、わたしの衝動に対して試してみるしか無い。そうして戻ってきたリアクションにおうじて、また微調整する。本書後半で出てくる「多孔的な自己」を体現する必要がある。

なかなかそんな「面倒なこと」をテーマにした本は少ないわけです。だから私は本書を読めてよかったし、人生の困難に立ち向かう多くの同志に薦めたいなと感じました。

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