声を聞くために学ぶーミニ読書感想『学ぶことは、とびこえること』(ベル・フックスさん)
人種差別の課題やフェミニズムに取り組んだ研究者ベル・フックスさんの『学ぶことは、とびこえること』(里美実さん監訳、朴和美さん、堀田碧さん、吉原令子さん訳、ちくま学芸文庫2023年5月10日初版発行)が学びになりました。特にフェミニズムについて、黒人女性であるベルさんは、それが白人女性のためのフェミニズムになっていないか批判的思考を追求した。周縁化される声を、無効化される声を聞くための、学びの方法を考えさせられました。
著者の批判的思考は、黒人女性としての経験に立脚しています。
烙印を押され、選択肢が制限される。黒人女性としての苦しみは、たとえば障害者、たとえば外国籍にルーツがある日本人に主語を置き換えても、それは現代日本で成立してしまう。だからこそ、切実なものとして胸に迫ります。障害のある子を育てる親としては、著者が苦しみの中歩き続け、こうして声をまとめた本が、特別な響きを持ちます。
そんな著者が教師となり、抑圧される側にとって意味のある教育を考えたのが本書の内容です。それは、抑圧構造の上に築かれる知識を「上から下に」の要領で教えるやり方とは違う。こうした「預金型の学び」は、学ぶ側を知識の消費者にするだけで、抑圧構造の変革は生まないと指摘します。
では、著者が取り組んだ教育実践とは何か。具体的に、自らの授業の一部を次のように記述します。
ポイントは、他人の声に耳を傾けること。そしてそのために、自分の話を中断すること。
著者が提唱するのは、単なる参加型の授業ではありません。生徒・学生が発言、発表し、能動的になるというだけではない。なぜなら、それだけでは、声の大きな生徒・学生の発言力が大きくなるから。たとえば米国においては、黒人よりも白人が、女性よりも男性が、労働階級出身者よりもエスタブリッシュ層が、より力を持つからです。
著者の試みはむしろ、全員に小さな声を求める。そして、それを聞き取るために、注意深く、自らの立場を抑制的にすることを求める。
この姿勢は、障害のある我が子に向き合う時にも重要になってくると感じました。それが「我が子に発言を求める」だけでは不十分である。親であり、定型発達者として生きてきた自分が発言を求めるということ自体が、ある種の抑圧を内包していることを自覚する必要がある。
聞く。そのためには、黙すべきである。この姿勢は自然発生しない。むしろ、意識的に、意欲的に、学びとることが必要だと、学びました。
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