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言葉と連想が弾ける越境青春小説ーミニ読書感想「地球にちりばめられて」(多和田葉子さん)

多和田葉子さんの小説「地球にちりばめられて」(講談社文庫、2021年9月15日初版)が楽しかったです。面白いよりも、楽しい。日本という国が何らかの理由で消滅した世界。デンマークに留学したまま帰る故郷を失った元日本人の女性がさまざま縁で人と出会い、旅をする。この女性は「パンスカ」という独自言語をつくる。この言語が鍵となって、言葉遊びと連想が自由に弾ける。「越境」というのも一つの大きなテーマになっています。


パンスカはスカンジナビア言語をベースにした主人公の独自言語。故郷を失い、どこに流れ着くかわからないと感じた主人公は、特定国の言語ではなく、自分だけの言語を持とうと決めた。それは独自のリズムを持ちます。

「わたしの紙芝居への夢は巨人。紙芝居屋としてのキャリアはネズミ」
「地球にちりばめられて」p45

大と小の対比。でも巨人の対義語を「小人」ではなく「ネズミ」にしているのが何だか面白い。「紙芝居への夢」というのも、なんだか広大な水平線を見据えているような、羽が大きく伸びるような感覚を得られる。

主人公の最初の旅仲間になるのは、言語学を学ぶ学生。たまたま主人公がテレビに出ているのを見てテレビ局に電話し、主人公と会うことになる。この学生との会話が楽しい。言葉がいきいきと、自由に、物語から脱線するように弾ける。主人公と鮨屋に行った時の会話。

僕は、ハマチという名の魚に目を付けた。ハウマッチみたいで面白い名前。味のことを考えるのはやめて、名前で決めよう。メニューは文学ジャンルの一つだと文学研究をしている同僚が言っていた。
「ca va?という魚もいるね。」
「タコはタコスの単数形」
「スズキも自動車みたいでいいね」
「地球にちりばめられて」p28

ハマチとハウマッチ。サバとca va?。タコはタコスの単数形。ダジャレじゃなくて、ある種大まじめに、「面白いな」と思って言葉を味わっている。

多和田作品は、こういう遊び心に溢れている。物語を楽しむと同時に、言葉の自由自在さを楽しむ。脳があちこちに引っ張られるような感覚がある。

一方で、多和田作品には悲しみも通底する。それは、異国に生きる人が味わう疎外感としての悲しさです。本書では、グリーンランド出身の男性が登場する。彼がデンマークで感じるのは、次のような思いでした。

まるで俺の身体をエスキモーと書かれた膜が包んでいて、外からくる視線は膜の表面でとまってしまい、誰もそれより奥に入ってこられないみたいだった。
「地球にちりばめられて」p147

自分を包み込む膜。その奥に届かない周囲のまなざし。「書かれた膜」という表現にあるとおり、ここでも言語や概念が意識されている。

多和田作品は悲しみを引き受け、包み、そこから自由な言葉が出現するからこそ、心地よい。軽すぎない軽快さがある。コロコロと舌の上で転がす間、不思議な愉悦を味わうことができます。

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