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伊藤計劃の再来ーミニ読書感想「同志少女よ、敵を撃て」
逢坂冬馬さんの「同志少女よ、敵を撃て」を読み終えた。圧巻の物語。2021年を象徴する一作になった。「あの年は同志少女を読んだな」とこの先ずっと思い出すことになるだろう。
秀逸なのはまず、題材。第二次世界大戦の独ソ戦のうち、実在したという少女狙撃隊にスポットを当てている。男性目線で語られがちな戦争のうち、銃後の女性でなく、最前線の戦う女性にスポットを当てた。
いや、「戦わざるを得なかった女性」の方が正しい。主人公は、ドイツ軍に蹂躙された村の生き残り。すんでのところで駆けつけた凄腕女性スナイパーに、「死にたいか、それとも戦いたいか」と選択を迫られ、狙撃隊で戦うことを選んだ。
そのため主人公には2人の復讐相手がいる。第一に、村を襲ったドイツ軍。とりわけ、自分の母を撃ち殺したある狙撃手の男を必ず討ち取ると誓う。そして、自分をスカウトしたソ連軍スナイパーの女性だ。過酷な運命を迫った彼女もまた、主人公の仇だった。
だからこの物語は、「敵」と向かい合う物語だ。敵を撃て。その敵を求め、倒すために強くなり、追い詰める物語だ。切実な主題が内包されている。
さらに「同志少女」が魅力なのは、いくつもの厚い物語が積み重なっているところだ。共産主義もファシズムも拭い難い独裁主義。独ソ戦の核心の一つとなった、深刻な飢餓。そして、戦場における女性への抑圧。主人公の思いは強く、足取りは確かだが、数々の矛盾や不条理が彼女の歩みを立ち止まらせる。私は何のために、戦っているのか?
その意味で、タイトルが敵を「討て」ではなく「撃て」であることが大きな意味を持ってくる。本当の「敵」とは誰なのか。主人公はこの重大な、重大すぎる問いにぶつからざるを得ない。
敵は本当に独軍狙撃手や、自分を拾った上官の女性スナイパーなのか。そうではないとしたら、誰なのか。驚くことに、この謎が物語のラストでは具体的に解き明かされる。本作がアガサクリスティー賞受賞作であることに頷けるくらい、まぎれもない傑作のミステリーでもあった。
壮大で重厚でありながら、細部が整合して確かな密度がある。「同志少女」を読んでいる間、伊藤計劃さんの「虐殺器官」がシンクロした。敵を求めて求めて、最後には本当の敵が姿を現すスペクタルもそのままだ。
精密なパスを出し続けるサッカー選手のように、「同志少女」の物語の随所が心に突き刺さる。ページをめくるたびに感動する体験は、今年一年を彩る豊かな思い出の一つになった。
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