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ラブレター渇望症
ラブレターに憧れている。
たぶんかれこれ20年以上もらったことがないし、書いたこともない。
最後にもらったのは、たしか高3の時。若干記憶が定かじゃないけれど。
その時は同じクラスの大して仲良くもない女の子経由で、隣の女子校の生徒からのラブレターを手渡しされたのだった。
実は今となっては詳しい文面は覚えていない。たしか文化祭で見かけて気になったので一度会ってほしい、的な内容だった。
その時はどうせからかわれてるんだろうなと思いつつも、ラブレターを貰うというのは高校生男子にとってはめちゃくちゃ嬉しくて、かなりドキドキしたことを覚えている。
結局、同じクラスの女子の「めっちゃかわいい子だから会うだけ会ってみなよ」という言葉にのせられて、とりあえず3人で会ってみたら本当にめっちゃ可愛い子でこっちもほぼ一目惚れ。その後デートを何回か繰り返すうちに付き合うことになったけど、卒業すると同時に遠距離恋愛になってしまい、そのうちに会うのが面倒になってなんとなく別れてしまった覚えがある。
今思うとラブレターを貰ったり渡したりする瞬間というのは、その恋愛のひとつのクライマックスなのかもしれない。
その後の恋愛では携帯メールとSNSの普及のおかげで、ラブレターの出番はすっかりなくなった。たとえそれらしい内容だったとしても、メールやSNSの気軽さは「ラブレター」と呼ぶにはなんだかおこがましい気がする。
そしていい歳になった今、ラブレターとまではいかないまでも現在のパートナーから手紙を貰う度に、あらためて手書きの手紙というツールの尊さに毎回ハッとするのだ。
きっとぼくはラブレターを渇望している。貰うことにも書くことにも。
そして、残念ながら貰うことに関しては相手次第だけど、書くことは自分の意志でできる。
そうだ。ラブレター書こう。
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