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憐れむという傲慢

「いつ帰ってくるの?」
これで何度目だろう? 実に哀れで、雨の中の捨て犬のような惨めな表情で私に母が問う。
A4のコピー用紙に書いた日付を指して大声で返す。
「さっき言ったよ! 壁に貼ってある!!」
「ごめんね…ごめんね…」
そしてまた
「いつ帰ってくるの?」
以前なら、謝りもせず何かしらナチュラルなデスりを交えて言い返してきたものだが、昨今はただ「寂しい」と「ごめんよ」「おかあさん耳が聞こえないんだよ」と、ひたすら弱者の常套句を並べてくる。
これはこれでヒットポイントが高い、実家からの帰り道、弱いものいじめをしたいじめっ子の気分に心がどす黒くなる。

母を愛せない、母がこうなったのは自業自得なのだ。
しかし、物書きの性か、つい俯瞰の目が違う角度で状況を再構築す。

かわいそうな人なのだ。
幼少時代は自尊心のままに蝶よ花よと育てられ、気がつけば地元に縁談はなく、遠く離れた他県の家に見合いで嫁ぎ、いざ家に入ったら内情は貧乏で、義両親に小姑が2人、あれほどかわいがられていた家族とは正反対の対応をされる。
自分は評価されず、当時の価値観として嫁の1番の仕事であった最初の妊娠は死産に終わった。その子は男の子だった。
祖父の入退院で費用の算段におびえ、外で働くことに安らぎを求めた。
私が生まれても、妹が生まれも、祖父が死んでも… 母は仕事に逃げ、子供のころ培った自我を捨てられなかった。
娘としてではなく人として、気の毒な女性だと思う。

この、弱った老人に私はいつまで恨みを抱いて生きていくのだろう?
「憐れ」…と思うことも傲慢な私のエゴでしかないのかとさえ思う。

そんな葛藤を抱えていた頃
「人間(例え親でも)許せないことはありますよ」
ある介護関係者がポツリと言ってくれた。
あの言葉に救われた。

許せない自分を許す。

今はそれでいいと思えた。

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