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親になってはダメな毒親17…なぜか長続きしない人間関係①

私みたいな日本語が満足に解らない落ちこぼれでも
下校時や一緒に遊んだりする友達が数名いた。

ある下校時、友達と数名おしゃべりしながら道を歩いていると、
向こうからどこかで見た事のある前掛けをしてつっかけを履いているおばさんがこちらに向かって歩いて来た。

よく見ると私の母だった

小走りに歩いて来たと思ったら
私の手首を握って引っ張って連れて行かれた。

友だちはお口あんぐり開けたまま呆然と私たち親子を見ていた。

私は何事かと思いながら
友だちにさよならを言わずに母に引っ張られる形で家に連れられた。

家には父がイライラして待っていた。

いつまで学校で遊び惚けていたんだ!と
怒鳴られる!!

こんなことが度々あった。

そんなある日、友達の誕生日のお祝いに呼ばれた。

母親はお誕生日プレゼントを用意してくれ
それを持って友達の家に行ったが、

その家には誰もおらず、
皆にボイコットされた事をその時知り、そのまま家に帰った。
母親にそのことを話したら
だからバカだというの!と一言で終わった。

病院の娘さんとお友達になった

小柄で大人しい、優しい子で一緒にいると楽しい子だった。

その子に誘われてお宅へ遊びに行くと、たくさんのお人形があっていつまでもその家にいたかった。
物静かで優しいお母さんが出迎えてくれて、おやつなど沢山ご馳走になった。

母は私がどんな子と遊んでいるのか?把握したいらしく、
友だちのお母さんと親しくなった。

しかし、すぐにその子のお母さんとの関係が悪くなった。

その子とお付き合いする事を硬く禁じられた。

その子が大好きな私は納得いかなくて
どうして付き合ってはいけないの?と聞いたが

悪い子だから・・・と

悪くない!とても良い子だよ!
と反論したら、

あんたみたいな頭悪い子に何が解るの?

あんな子とは、金輪際口もきいてはダメ!と言われたが、
内緒で遊んだ。

ある日、その子のお家に遊びに行った時、
その子のお母さんは悲しそうな顔で、
もう うちでは遊べなくなったから!お帰りなさい!と静かな声で言われ、とぼとぼと帰った!
それ以来、
その子も私を避けるようになった。

母はその親子の悪口を散々言った。


こんな感じで
私の友達付き合いをことごとく邪魔された

母は、物腰が静かで優しい人が嫌いなようだ。
特に自分の子供を大切にしている(当たり前だが)姿を見ると
何らかの感情(怒り)が芽吹く様だ。

しかし、そんな母親の子供は成績も優秀だったりする。

母はそれが悔しいようで
あんな子に負けない様に勉強してギャフント言わしてやりな!と
闘争心むき出しだった。

私たちが成長するにつれ
父は仕事に忙殺され、ほとんど私たち姉妹との関りが薄くなっていった。

私たちの様子は全て母からの情報だった。

ある日、父が私に「お前は不良と付き合っているのか?」と聞かれた。
不良?不良って何?不良ってどんな子の事をいうの?
と反対に聞いたら。

お父さんの問いの答えろ!

お前の友達の名前をすべて言え!と怒鳴った
その子はどんな家の子なんだ!
そんな下らない子なんかと付き合うな?と
言われた!!

母は自分に都合の良いのように、話を作って父に伝えている。

特に友だちと遊んでいて笑い焦げると、
母親の頭に怒りスイッチが入り
下品な子・・と怒られる!

そのうち、親には友達の事を言わなくなった

父は私が秘密を持つ事をひどく嫌った。
友だちを失うのが嫌だった私は親に内緒に友達を作った。
それを見破った父は私に不良!と罵った。

母はどんな人に対しても戦闘モードで戦う

0か1、敵か味方という両極端な考えの母。

特に自分との意見の相違に対して
全て敵と見なすようで攻撃する口調になる。
相手は戦うという意識がないので、びっくりする。

そんな相手に対して「自分が勝ち」と勝ち誇った表情で言う

そんな事が度重なる事で、
周りからどんどん離れていくようになり孤立していくようだ。

私は
学校以外の外出を禁止
友達との付き合いも禁止された上
世間一般の人たちは『ゴキブリ』同然!
くだらない!関わる価値なし!
という考えで、
両親の考えが一番なんだと
強い口調にで言われるうちにマインドコントロールされていった。

そして、頭の悪い私はこの厳しい世間に放り出されたら
生きて行かれない!というネガティブな事を言い続けられた。

この様に
私は自信が持てない、自己肯定感だだ下がり
親なしでは生きていけない両親にとって都合の良い人間になって行った。









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