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悟りっぽい経験① 世界と一体となる感覚

このnoteのテーマは仏教の「悟り」について伝えることなんですが、同時にそれとは異なる「悟りっぽいもの」に対する知識を伝えることも目的としています。とはいっても、他の人の体験をあーだこーだいうと角が立つので自分が体験したものから引っ張り出して、解説を加えてみたいと思います。

ある時私はひどい風邪をひいて高熱と関節痛でほとんど動けなくなってしまいました。普通に動くと痛いので何をするにもゆっくり動くしかなかったのです。
それでも辛い状況にはあるものの眠ることもできず、暇でした。
そこで以前本で太極拳のようにゆっくり体を動かすと脳が活性化する、みたいな話を読んでいたのを思い出したのです。この際だからとものすごくゆっくり動き続けてみたらどうなるかと試してみたのです。熱が引くまでの3日間ほど、とにかくあらゆる行動をゆっくりおこなっていました。ゆっくり動くというのは結構難しく、動かす場所を強く意識しなければうまく動くことができません。でも暇で仕方がなかったので、ゆっくり寝返りをうったり腕を上げてみたりと繰り返していたのです。

症状が落ち着いたので、こもっていた自室から出てリビングに行くと、テレビでサッカーの試合が流れていました。しかしその時奇妙な感覚に気づいたのです。画面上で選手がボールを受けると、自分自身の足にもボールが当たったような感触が生じたのです。「これはなんだろう」と思いながら見ていると、やっぱり画面の中の選手の頭にボールが当たると、自分の頭にも同じような接触感が生まれる。不思議だなと思いつつ、試しに壁を触ると自分が壁を触ったのに「触られた」感じがするのです。

まるで自分と世界が完全に繋がって、物も人も全てが「私」であるかのように感じられました。

なんなんだろうと不思議に思いつつも、またベッドに戻り一眠りするともう元に戻っていました。その時は、ゆっくり動くのを繰り返していたから、ミラーニューロンだとかが異常に活性化して幻覚を感じさせたんだと思っていました。

しかし、もし私がスピリチュアルな考えを持っていて世界との一体感、いわゆる「ワンネス」のようなものを求めていたならば、ものすごく感激していたかもしれません。

こういう不思議な経験は起こる人にはかなり頻繁に起こります。人間の脳というのはかなり繊細で、意外と誤作動を起こすのです。それを「特別なこと」として捉えるとスピリチュアルな方向に向かうことになります。

私はスピリチュアルなものに気持ちが向かうこと自体は悪いとは思いません。しかし、現実的に証明する対象がないために、結構なんでも言えてしまうのです。そしてそれを利用して人を騙そうとする人もいますし、お金を巻き上げようとする人もいます。まぁこれはスピリチュアルに限らずどこでもそうかもしれませんが、例えば英語の教材ならばTOEICなり英検なりを受ければその効果を知ることができて、教材の良し悪しを判断できます。しかしスピリチュアルは客観的な評価をしづらい分野です。文字通り自己満足の世界なので、はまり込んでしまう人は深くはまり込んで、破産してしまう人もいます。

それも本人の選択と言ってしまえばそれまでですが、せめて神秘的な体験や変性意識は割と簡単に起こるし、また条件を整えれば他人があなたに対して「起こせる」ことも知ってほしいと思います。

読んでいただきありがとうございました。

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