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悟りに至る7つのステップ③

今回は集中力が高まった際に現れる特殊な五感の状態や意識状態について書いていきます。その中にはネガティブなものもありますが、それらを敢えて書いたのは「こうならないように気をつけよう」と言うことではなくて「こういうことも起こるけれど気にしなくて良い」ということを強調したいためです。集中の過程には本当に色々なことが起こります。しかもそれは非日常的な経験ばかりです。ちょっとした坐禅体験などでも神秘的な体験をしてしまう人がいますが、集中力が高まるとそういった体験がしょっちゅう現れてきます。それらはどれも不思議な体験であるし鮮烈な体験でもあるのですが、仏教の修行の本質とは何も関係がありません。

完全な静寂の落とし穴

修行が進み集中力が高まると心が統一され静寂が訪れます。もしあなたが誰もいない森の奥で一人実践し続けているのであればこのような状態でも問題は少ないかもしれません。しかし、現代日本で修行し続ける上では色々な困難が起きてきます。

五感の鋭敏化

修行者はある種の矛盾に直面します。集中が高まると心は静かに落ち着きます。しかし同時に五感が鋭くなってちょっとした物音などにも敏感に反応してしまうようになります。
例えばこんなことがありました。外で歩く感覚に集中していた時です。そこは川沿いの小道で車は入れないような場所だったのですが遠くの方で(恐らく数百メートルという単位で離れて居たと思うのですが)鳴ったクラクションがまるで耳の側でなったように感じられたのです。驚き周りを見回したのですが、当然車は影すら見えません。
またある時家で座っていて、自分の心臓の音がうるさく聞こえて集中できないことがありました。頸動脈の脈動まで聞こえるような体中が騒がしく鳴り響いているような錯覚に陥ったのです。これは耐え難い不快感で一度集中を解かざるを得ませんでした。

変性意識による幻覚

集中力が高まると五感の鋭敏化に加えいわゆる変性意識という特殊な意識状態になり幻覚や身体感覚の変化など神秘的な体験が起こることがあります。
例えばこんなことがありました。普通の道で歩く瞑想をしていた時急に意識がシフトして不思議な感覚に陥りました。その状態で世界を見ると壁と床の区別がつかなくなってしまうのです。普通人間は両目の視差によって空間を三次元的に捉え凹凸などを避けることができます。しかしその状態に入る世界は二次元にしかとられられず、道にあるマンホールを障害物と認識して避けてしまったりということがありました。
またこのようなことがありました。家で痛みに耐えて座っていると体の中が光り出すような感覚に陥りました。いわゆるボディイメージが光のように感じられ、さらにその感覚がねじれ出したのです。その感覚はねじれ続けついには千切れてしまい最後には光の束となって消えていきました。

この他にも目を瞑っているのに強い光を感じたり、体の境界がなくなって空間に溶けてしまうように感じたり色々な幻覚が起こることがあります。それらは恐らく脳内の神経修飾物質が過剰に分泌されたり、特定の脳部位が異常に活性化することによって引き起こされるものです。

これらの体験は他の宗教の文脈では色々意味付けされることもあるかもしれませんが、仏教では特に何の意味もない、集中が高まれば当たり前に現れる現象として理解されています。

このような話を聞くと集中状態を保つのは難しい。別の方法を探した方が良いのではないか、と思う方もいるかもしれません。実際高度な集中状態に入ることを否定している指導者もいます。しかしこのような集中はのちの観察の段階に必要なものなのです。

ではこのような集中状態を維持しつつ、五感の鋭敏化や変性意識に対応していくことができるのでしょうか。
次回以降は心の清浄の次の段階、見解の清浄について書いていこうと思います。

読んでいただきありがとうございました。


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