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悟りに至る7つのステップ①

これから悟りに至る段階を7つのステップに分けて説明してきます。
この7つのステップというのは実は経典にブッダの言葉として書かれているものではありません。仏弟子同士の問答に書かれていることなんですね。パーリ小部にはいわゆるお経だけでなく教理をまとめた理論書のようなものも含まれているのですが、その中でも似たような分類がなされています。さらにそれを元にして後の世にまとめられた理論書はより詳細に修行の機序が述べられています。
その分類は実践者の実感に沿ったものなんですね。やったことがある人が見ると、机上の空論ではくて実用的にまとめてあるということがわかります。私はこれらの論書はブッダの教えを受けて修行した弟子たちが、自分達の実際に得た実感も加えてまとめたものだと思っています。だから実践的に役に立つのです。

ただその内容に詳細に踏み込んでしまうと私の教学の知識の限界を超えてしまうので、ここでは分類だけ借りて細かいところは個人の体験談で補完して説明していこうと思います。

ステップ1 戒の清浄 心を落ち着けるための準備

よく「戒律」と二つにまとめられてしまいますが、戒と律は異なります。戒は「自分で守ると決めるもの」で律とは「他人に守るよう決められるもの」です。戒というのは修行のために自ら進んで自身の言動を戒めるためのものです。
しかし戒というとなんとなく宗教的でとっつきにくい感じがしますね。でも修行における戒の本質的な意味は宗教とは関係なく現代日本に生きる我々でもすぐに理解できるものです。
例えばあなたが翌日に難しい試験を受けなくてはならないとします。その前日にお酒を飲んで二日酔いになったり、寝不足のまま受けたりするでしょうか?
あるいは元旦に書初めでもしようと筆と半紙を出したとします。しかし、部屋は散らかっていて落ち着いて書ける場所がない。そういう時は一度部屋を片付けてから書き始めますよね。
仏教の修行も同じなんです。集中力が必要なことをするためには、その妨げになるようなことは事前にするべきではないし、妨げになるような対象を取り除かなくてはなりません。ここに宗教的儀礼的な意味はありませんよね。集中して何かに取り組もうとしたら当たり前のことなんです。
だから戒と言っても「〜をしてはいけない、〜もしてはいけない」のように項目を分けて一つ一つ守る必要はないんですよ。集中するために、心を落ち着かせるために、するべきでないことをしないだけでいいんです。

と言ってはみたものの難しいですよね。
こんな偉そうなことを言っている私も最初はひどいものでした。そもそも落ち着いて座ってることすらままならなかったんです。動きたい衝動を抑えるのに必死で身体の感覚に注意を向けるどころではありませんでした。心の中は荒れ狂う海のようで、いつも騒々しく波打っていました。
しかし逆にひどい状態だったので気づくことができたんです。自分が普通だと思っているような生活をしていると「心は落ち着いてくれない」ということに。それからは携帯もパソコンも封印して、テレビも見ないようにしました。心を落ち着けるために身の回りを整えるようにしました。そうするとだんだん静かに座っていることが苦痛でなくなり、やがて落ち着いている状態の方が心地よいとさえ思うようになりました。

戒すなわち自身の言動を戒め慎むことは修行の一番のベースになるところです。それは高度な集中、明晰な洞察の源泉ともなる大事なものです。
ただしそこが現代人には一番難しいとも言えます。現代人はあらゆる意味で忙しすぎるのですね。そのような日常から急にいっときだけ瞑想しようといってもなかなか上手くできないのです。
だから修行のために何か一つでも自分の行動を改めることができたら大きな進歩です。忙しく騒がしい心より、静かで落ち着いた心の方が良いと思えるようになったら、着実に悟りへの階段を登っていると言えます。

読んでいただきありがとうございました。次回からはいよいよ本格的な心の集中の段階についてお伝えしようと思います。個人的にはここの段階が一番大変なんじゃないかな、と思っています。なので何回かに分けて詳しく説明していきます。



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