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世代を超えて「いじめ」と向き合う

8月22日、「いじめについて考えるワークショップ」がはじまる学び場。で開催されました。

友達がいじめに遭ったことをきっかけに

いじめはなぜ起きるのか
起きた時にどうすればいいのか
大人の関わり方って?

などを、考え続けて来た中学1年生の子の主催でした。

「いじめ」という言葉だけで眉をひそめたくなってしまう...

当事者の心をどれだけ傷つけ、その先の人生にまで大きな影響を及ぼす...ということがさまざまな場所で叫ばれるようになって久しい。

でも、だからこそ、

もっと身近に感じ、ある意味 "気軽に話せること" にならないといけないのではないか、そんな気づきをもらえた時間となりました。

当事者たちの苦しみを思うと、私なんかが気安く意見は言えない...
きっと、そんな風に蓋がされてしまいがちなテーマだと思うのです。

でも、いじめはどこにだって起こりうるし、
加害者にだって被害者にだって傍観者にだってなりうる...

今回のワークショップでは、身近で起こりがちな現象がいくつか提示され、
参加者たちの経験などと照らし合わせながらパターン別にディスカッションをしました。

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「いじめ」は犯罪だ

たしかに、そう言わざるを得ないような悪質すぎるものがあるのも事実です。

ただ、そういった悪質すぎるものとは違うから...と当事者たち、被害者と言える側の子達ですらそう感じているうちに、
じつは心がとても疲れてしまっている...
そんなことも少なくないのです。

そして、それを乗り越えることがなぜ難しいのか、
なぜ自分と異なるものにこんなにもネガティブに反応してしまうのか、

日本の学校の特徴や家庭環境の話...などなど、話は本当に多岐に渡りました。

誤解を恐れずにいうと、「おもしろかった」です。

私たち人間の心の構造というか...誰にでもある心のひだというか...

世代も立場も超えて、そこと向き合う時間は、これまでに体験したことのないものだったように感じました。

「いじめ」と認定されるものであるかどうか...が重要なのではなく、
その現象を受け止め、みんなにとって良い方向に向かえる方法を「みんな」で考えられるようになる...きっとそれが必要なことなのだと思うのです。

私自身、教育現場に長くいましたが、じつは毎日「恐怖」を感じていました。

いつ誰がどんな形で
傷つく側になっても傷つける側になってもおかしくないからです。

でも、最近思うのです。何が怖かったんだろう...と。

自分に責任があるとされる担当生徒たちのなかで「いじめ」が起きること?
「いじめ」なんかが生まれる環境をつくりやがって、と周りから思われること?
なぜ守ってくれなかったんだと本人から、保護者から責められること?

いつ起きてもおかしくない...とわかっていながら、

「学校」ではどう向き合っていこうか。
周りの人たちとも協力関係を結びながら、時に傷ついている側とも傷つけてしまっている側とも対話を繰り返しながら、どう「現状」を良い方向に転換させていこうか。

そんな気持ちに、なれていなかったということを、ワークショップを通して改めて思い知らされました。

今が複雑で生きづらい世の中なのであれば、
その複雑さと生きづらさをもっと簡単に言葉にできるようになりたい。

いろんな意見があるし、いろんな人がいる、
であれば、その「いろんな」ともっともっと出会う機会を増やしたい。

「こんなことについて誰かと話してみたいんです」

そんな思いがある方を「はじまる学び場。」はいつでもお待ちしています。


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