人物、人物論を語る

昨日、「【討論!】言志復刊記念・言論最前線の現在[桜H26/4/19]」という動画において西部邁氏だけが喋っている部分の抜粋動画をYouTubeで観ました。本編全部はニコニコ動画にいまだ転がっているので興味のある方は探してみて下さい。西部氏に興味があるよって人は「西部邁ノンストップ」でYouTube検索してみて下さい。いっぱい出て来ます。
西部先生のファンの方らしく、討論番組であっても彼氏だけを切り取ってくれています。本当だったら7,8人が集まって3時間話すのですが、彼氏一人で1時間の尺を持っていっている事にまずは驚きました。喋り過ぎだろうと(笑)当時…今でも好きなので僕は何とも思いませんが、彼氏が嫌いな方はすぐチャンネルを変えた事でしょう。まあでも、本来好き嫌いではなくて深い洞察がされているかどうかで評価されるべきだと思うので、他パネリストの面子を見ていると1時間であっても妥当だったかもしれません。
というのも、驚くべき事ではあるのですが、この討論に出席している方々の内、大高未貴さん以外は皆、今やチャンネル桜を去って行った方々だからです。奇しくも、西部先生は「普段は立派な言説を述べる保守系言論人であっても、実は相当に怪しい(良心の資質において)」との旨を彼等の前で述べています。あれから10年、居なくなった理由は大なり小なり人それぞれなんでしょうが、普段、「自分から『出て行け!』と言った事は一度もない」と水島社長が仰っている事も鑑みると、自分勝手な理由で皆さん去って行くのだろうと思いました。個人がバラバラになって活動するのは悪くないんじゃないかと思うかもしれませんが、それに伴い保守的視聴者層を益々山の頂きからバラバラに遠ざける効果を生むだろうと僕なんかは思っているので、「わざとやっている」とまでは言いませんが、こと政治的思想的問題については意見の集約を願うばかりです。
内容に戻りますが、率直に懐かしいなと思いました。というのも、彼氏が亡くなってから久しいという意味ではなくて、安倍さんの事を積極的に論じるのは確か2014年初頭が最後であったろうと思ったからです。チャンネル桜においては今後もひっきりなしに安倍晋三という人物像について議論されたり評されたりしていく事になるのですが、西部先生はこの辺を最後に殆ど語る事はありませんでした。
結論から言うと、彼氏は本当に手厳しく安倍さんを評価しています。この手の人物評価は「俺はこう思う。私はこう思う」というのが常でまるで客観性がないし、ついでに言うと主観性の面から言っても「彼を解き明かしてみせるぞ」といった意志がそもそも弱いしそれに従い説得力も感じられません。まるで子供の感想です。さらには、保守は「安倍さん素晴らしい」と言うのに対し、リベラルは「安倍は極悪非道」と来る。話が善悪論になってしまっていて、良いも悪いもひっくるめた、つまり善悪で評価するのは辞めようという心の態度と本質を追求していこうという姿勢が全く足りなかったが為に、結局安倍さんという人物が分からなかったなと思うのです。西部先生は、安倍さんが再登板する迄陰ながら応援していたそうですから、本当は叱咤激励の意味があったろうと思うのです。個人的な繋がりがあったにも関わらず、2014年の時点になってやっと馬鹿だと気付いたなら、彼氏は評論家としての資質を問われる事になるでしょう。それでは何故、この時点において安倍さんは叱咤激励されてしまう羽目になったかを考える事によって政治というものが見えてくるのですが論点がずれるのでまあ今日は良いでしょう。
西部先生は何故、以後安倍さんを論じなくなってしまったのでしょうか。水島社長から「叱咤激励が安倍批判として視聴者の目に映る。西部先生は影響力が大きいからそれだったら止めて欲しい」と諭されたのでしょうか。彼氏のような学者出からすると、あっちの顔を伺いこっちの顔を伺いといった政治の本質を語る事を発端に、安倍擁護論を展開するのは程度が低いのであって、それなら自説の保守思想を語った方が視聴者の為になると判断したのでしょうか。
それは分かりませんが、彼氏はアンチがとてもお上手だった事は確かです。議論の場に立って頂くとより輝くタイプで、話を盛り上げてくれるし、知的な深みが生まれます。現在の討論はそれぞれが自説を述べてはいお終い、特に水島社長に対し、ある程度論理的に噛み付く事が出来る程幅を持った人が居ないので淋しくなりました。
暗に貶すのではなく、話題を避けるのではなく、あくまで視聴者の立場に立った、西部先生のキャラには合わないかもしれませんが、より「本当のところ」を語ろうとする人であって欲しかったと思いました。安倍論については多少不満が残るという程度で、上記パネリストと比べるに及ばない事は言うまでもありません。
「何故それ程人間論に拘っているんだ?」と思いますか?裏金があったか無かったか、その事実の方が大事ではないか、それに応じて裁く事の方が重要ではないかと思っていませんか(確かに政治腐敗を知る意味では重要)?でもそれは本来警察検察がやる事で、それに拘っている限り物事を深く捉えようという気持ちにはなりません(当たっているかはさて置き)。皆さん忙しいので、特定個人に考えを巡らす暇は無いのだと思いますが、暗殺された悲劇の元総理大臣なんですから、もっと考えても良いのかなと。逆に、彼氏・彼女・夫・妻だったら語れるのでしょうか。誰かが父母に「doko zunとは?」と尋ねたら「よく分からん」と言われてしまうのではないかと僕は思ってます。
例えば、河井夫妻選挙違反事件というのが昔ありました。そこそこ興味を抱いた事件だった事を覚えています。安倍さんが、選挙買収資金を渡したのか、バックペイを貰ったのかどうかが焦点になった事件で、森友問題・桜を見る会よりも余っ程興味がありました。いつもは強気の安倍さんも当時答弁を控えていたものだから、「あれっ痛いところ突かれた?」と当時思った記憶があります。でもよくよくwikiを調べてみると、二階さんが「決定権は総理と私にある」なんて誰でも知ってる一般論をさもありげにぶち上げてしまったものだから、二階さんの上司としては、無下に切れなくなってしまったといったところではないでしょうか(あくまで僕の予想)。
何故興味を持ったのかという話に戻ると、この金の問題は政治生命に関わると思ったからです。本当だったら悪質でしたよ。僕が仮に総理だったとして、“正統派”としての活躍を果たしたいと思ったらまずやりません。小銭を稼ぎたいという志で総理は目指さないでしょう。これは安倍さんがどうのというより、一般的常識があれば必然と導き出される答えです。当時ネット左翼は「(金銭授受を)やったやった」と言っていましたが、だとすると、金丸さん並みでないにしろ金に汚かったという性格を裏付けるエピソードを探して来ない限りは、信憑性の乏しい空想論を語っているに過ぎないのです。
天下国家に携わる人物が河合夫婦(程度の問題)に肩入れしたいと思っていたかどうかは、同じ理屈で甚だ怪しいと思いますが、そういう細々とした問題を力で捻じ伏せていく“汚れ”の存在も今の政治には必要なんでしょう。だからこその二階俊博幹事長(敢えて付け加えるなら菅官房長官)起用だったのではないでしょうか。
安倍さんの人物分析をまずまず真剣にやろうとすればこの程度の想像は出来る筈なんですが、目の前の良い悪いに拘っている限りは出て来ない発想でもあります。事実、政治評論家と称する人達は、この程度ですら(やんわりで良いから)指摘した事があったでしょうか。僕も含め、こと政治に関しては、常識すら踏まえていない空想論の応酬を延々やる事によって只々時間が浪費されているのではないでしょうか。

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