妄想する男6

僕は先程、ドストエフスキーの「○○□□△△」を読みながら漠然と思索に耽っていた。すると、ある思想が突然、電撃的に頭に降って湧いてきたのである。
「遂にあのドストエフスキーを超える事が出来たかもしれない。今日は天佑だ!」

僕は最近作家として行き詰まっていた。ありふれた話の展開とオチがいつも頭に浮かんでくるばっかりで、誰を真似た訳でもないのだが、結果的には平凡で、まるで何処かから勝手に引っ張ってきたみたいな三文芝居が原稿に書き写されてしまった事に後でいつも気付かされるのであった。
世間における僕の評判は、所謂大衆ストーリー作家と呼ばれる存在であったのだが、本当は価値ある思想という奴を小説を通じて発表し、周りをあっと驚かせたいと常々考えてきたのである。
「これはまだお目にかかった事のない代物だ。これをストーリーに落とし込んでと…これからが本当の難儀だぞっと」

実は今、田舎の避暑地として有名な○○県の□□島に来ている。涼しくて静かな場所だ。本土の人間には人気の島であったがこの旅館には幸い人がいない。相当仕事の行き詰まりを感じていたので、発作的にこの地へ降り立ったのであったが、海岸から少し内陸に入り込んだこの場所はどうやら旅行客に不人気であるらしい。
そんな事は別に構わない。都会の喧騒を逃れ、新たなアイデアを求めてここへやって来たのであって、ついさっきその目的は達成された。僕はほっと息をつき、二階の自室の窓辺に腰掛け、外の空気を吸いながら海を眺めた。まだまだシーズンとしては早過ぎであった為か、浜辺には殆ど人影が見えない。内地から唯一のアクセスであった小さな定期船に乗って来た際案外人はいるものだと感じたのだが…すると奥地の鋭く切り立った○○の滝の方へ皆んな集っているのだろう。もう観るところといったらあそこしかない。
しかし自分にはどうでもいい事である。あまりに気が緩んでしまった為、僕は誰かとおしゃべりがしたくなった。手には今携帯が握られている。普段電話をしないので喋り相手が思い付かない。

「そうだ!昔のアイツに掛けてみよう!」
顔は思い浮かぶのだが、名前が出て来ない。名字は「こ○□△」だった気がする。か行のアドレスを無意識にスクロールさせていった。
「これだこれだ」
考えも無しにボタンを押した。
「………ッッッ、プルル、プルル、プルル」
コールは3回で途絶えた。
「もしもし」
「あっあっ、もしもし○○村で小学校の時一緒だった□□だけど元気にしてる?」
「ああ元気だよ」
「そうか久し振りだな、ちょっと話さないか」
「いいよ、今何処に居るんだ?寂しかったじゃないか」
「実は○○県の□□島に来ている。ここはいいよ静かで」
「何を言ってるんだ。ここだって十分静かだったじゃないか。何も言わずどっかへ行っちまいやがって」
「悪かったな。親の都合で東京に出たんだ。まだそこにいるのか?」
「勿論だよ。悪い、今忙しいんだ。後でかけ直す」
「分かった」

それから僕は窓から立ち上がり座布団を拾い積み上げ、その上に頭を乗っけて畳に寝っ転がったのである。思想を頭の中で纏めたかったのだ。本来であれば、目に見える形で言葉として残して置く事が望ましい。そこが自分の甘いところで頭でなんでも整理が付くものと勘違いしている。書かないと、書きながらでないと着想は形に姿を変えないし、決して固まらないのであるが。AだからB、BだからCといった特徴的三段論法を流石に忘れてしまう事はないだろうが、人に分かり易く、インパクトを与える様な細かな表現レトリックさえも頭で思い付くものと過信して遂には目を瞑った。
気付くとさっきまで朝だったのが既に夕方になっていた。携帯を覗く。どうやらまだ何事も起こってないらしい。ふらふらと旅館を出た。例の滝へと繋がる川を横に見ながら遠くのフェリーターミナルへと歩を進める。障害物が取り払われ、除々に先程到着したと思われる定期船がその姿を現す。ふとした瞬間、陸と船を繋ぐ桟橋の上に僕の目が止まった。

あれはまさか「こばやし」ではないか。子供の時以来何十年ぶりではあったが、顔の何処かに面影を感じる。随分額が拡がった気がする。形は丁度M字を示している。中肉中背、白のYシャツに白のチノパン、それに顔までが白いので、人は多かったが思わず目についたのであった。
○○村と□□島を含んだ日本地図全体を思い浮かべてそんな筈がないと思った。そのまま川を跨いだ先の定期船を眺めながら、灯台へと続く真っ直ぐの道をまた歩き始めた。そしてこの時なんとなく小学校の頃を思い出していた。「こばやし」との“仲の良かった”エピソードの数々を。どうして人は都合良く色々と忘れてしまえるのだろう。ドストエフスキーに思いを馳せ思考を巡らす自分は仮の姿で、落ち度が人目に付かないようキョロキョロしている方が自分の現在の本質を良く表しているのではないかと思った。そう気付くくらいに当時は大胆で残酷だった。

ふと半身振り返ると後ろにアイツがいた。口角が上がっていて手の中に光るものが見える以外は顔に強烈なモザイクがかかっていた。その瞬間隣の川へと目を走らせた。飛び降りたらちょっとどうなるか分からないくらい高さがあると思ったが、その割に低過ぎるガードレールを乗り越え構わず身を投げた。視界の片隅にさえ入らない程アイツとの距離はまだあったし、勿論気配も感じなかったが間違いなくアイツも飛び降りたろうと思った。

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