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ダイソンが欲しいお年頃

 今日はダイソンのエアラップが欲しいというどうでもいい話だ。掃除機じゃないんだぞ。風力を利用して女子の巻き髪を作る最新美容家電だ。¥68,000だ。ばかやろう。

 こう見えて私は巻き髪ロングヘアが標準装備の女である。こう見えて、というのは普段から豪語(?)しているとおり「白髪のおばちゃん」であるにもかかわらず、である。

 白髪を染めない、化粧をしない、あるいはもう若くないという理由だけで、女は世間から忌み嫌われる。男からだけでない、主に男目線で生きているバカ女から嫌われるのだ。そんな歪んだ他人の目が気になるなら、みんなと同じように白髪を染めて厚化粧をして若作りをして一緒に恥をさらせば良いが。私の美意識はそれを許さないーー。

 ゴミ捨て場で、50代くらいのすっぴん女性と挨拶を交わす。ひどい見た目だ。染めまくってぼろぼろの金髪、20代のような服装、普段はしっかり化粧をしてるんだろうけど今朝はきっとバタバタしちゃったんだろうね、慢性的な摩擦による火傷みたいな赤ら顔に、くすんだ目元、不機嫌な口角ーー。
 そういう痛々しい女性に限って案外、顔の作りは整っていたりする。昔から「美人だね」と外見ばかりを誉められてきて、その時代のまんまNOアップデート。若い頃の価値観が捨てられないと、40代、50代、60代と、地獄だろうね。そういう女性に比べて、もともと不細工な生まれである私は、なんて気楽で自由なんだろう。「ご覧ください、私もすっぴんですよ」だ。

 大人女子に必要なのは、化粧ではなく「スキンケアの徹底」だ。着飾ることより、間違いや勘違いを改めること。酒、たばこ、夜更かし、暴飲暴食、若い頃からだらしない生活を続けていれば、見た目にも影響が出るのは時間の問題で、そうなると大概の人はそれをごまかそうと若作りに走ってしまう。見た目がみっともないのは今に始まったことではなく、身に付いてしまった悪習慣、だらしなさのせいであって、決して、白髪やすっぴんや年齢のせいではないのである。

 私が白髪を染めず、化粧もしないでいられるのは、そういうことだ。大人の顔は塗れば塗るほど汚くなる。「塗らなきゃヤバイ!」と誰もが勘違いしているが、スキンケアを怠っていてはヤバイに決まっている。厚化粧や間違ったケアが悪習慣になることを考えれば、それらを「やめる」だけでも立派なスキンケアとなるはずだ。例えば私などは敏感肌なので「いかに肌に刺激を与えずに清潔を保ち、保湿するか」が勝負のすべてで、それ以上のことはやってはいけない。そしてこれらのケアはもちろん、年齢に応じて常に見直してゆかなければならない。自分に合った正しいケアが出来れば、肌は1ヶ月で変わる。「ヤバイ!」と思ったら、今日、見直すべきである。

 ヘアスタイルも同様だ。年齢を重ねた顔に黒髪や金髪が似合うわけはない。大人髪のごわつきやうねりではストレートヘアも無理がある。大人女子におすすめなのはやはり巻き髪だ。
「朝から巻き髪なんて忙しくてやってられっかよ!」とか言いたくなるでしょうけど、大人女子の巻き髪は夜に巻くんですよ、おバカさん。風呂上がりのボディケア、スキンケア、ヘアケアは私にとって至福の時間。夜のうちに髪を巻いておけば実は朝がとっても楽なのである。変な寝癖もつかず、カールも程よく落ちて、寝ている間に勝手に絶妙なニュアンスヘアができあがる。ニュアンスヘアならゴムの跡も気にならないし、ふんわりボリュームも維持できて、かきあげたときの毛流れも美しく(=白髪メッシュが映える!)、巻き髪は意外と大人女子には楽ちんなヘアスタイルなのである。
 だが巻きすぎはいけない。やはり若作り感が出てしまう。寝る前に巻くくらいがちょうど良い。できればコテも卒業して、ブラシアイロンかくるくるドライヤーでゆるく巻くのが良い。あるいは、やはりダイソンだ。エアラップだ。風の力でふんわり巻くんだろう。もはや風力発電である。(違います)

 それで昨日、量販店へ行ってみたらば、ダイソン・エアラップは店頭価格で¥68,000。ネットではもう少し安いようだけれど、どうであれ労働者階級を無視しまくった値段設定に憤る。  せめて試してみようとスイッチを押してみたものの、ぎゃおおおおん!と掃除機のような轟音が鳴り出したので怖くてあきらめてしまった。商品レビューを参考にしようにも、「妻にねだられて購入しました。喜んでもらえて良かったです」とかいう何の役にも立たないものが多くて困る。

 今月はポメラを新調したので¥45,000が飛んだばかりだ。ダイソンなど買えるわけがない。「あー、やっぱ夫がいるといいなー。買ってもらえるんだなー。うらやましいなー。まじで夫とか2~3人いると便利だよね。(数おかしい)   あーあ、私ももう一回くらい結婚しようかしら。つーか何回目だよ? 4回目? まじか、堅気じゃねぇな」などとつぶやきながら量販店をあとにする。

 女が一人で生きてゆくこと、すなわち一人で老いてゆくことの、自由と淋しさを噛みしめた一日であった。ぎゃおおおおおん!



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