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土居豊の音楽エッセイ【バブル期90年代の来日オーケストラ鑑賞〜平成日本の音楽リスニング黄金時代】  第1回「アバド指揮ベルリン・フィル来日公演1994年 マーラー交響曲第9番〜数分間もの静寂」

土居豊のエッセイ新連載

【バブル期90年代の来日オーケストラ鑑賞 〜 平成日本の音楽リスニング黄金時代】


戦後日本の文化享受が絶頂に達した90年代の数年間を振り返る。それは、もう2度とないかもしれない、贅沢な文化享受体験だった。
日本人のクラシック音楽家としては唯一無二、空前絶後といえる小澤征爾の海外での活躍ぶりがあった。
文学の面では、村上春樹が海外に打って出始めた90年代の黄金期でもあった。
日本のアニメやマンガが海外に売り出されていく時期でもあった。
売れすぎたために起きた「日本叩き」などという話題もあり、現在ではちょっと信じられないほどの巨大な日本経済を背景に、国内では冷戦終結後のつかの間の平和なエアポケットの中で、我々日本人の音楽リスナーたちは、円高のもたらす膨大な海外文化の爆買いを享受した。
そんな、日本史上2度とないかもしれない文化の爆買い期を経て、21世紀にかけて、日本という一つの先進国があっという間に無残に衰亡していく、歴史的転換期の記録を試みる。


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第1回
「アバド指揮ベルリン・フィル来日公演1994年 マーラー交響曲第9番〜数分間もの静寂」

日時:1994年10月7日
会場:大阪 ザ・シンフォニーホール
演目:マーラー 交響曲第9番ニ長調

※筆者の買ったチケット
S席2万5千円

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⒈ 筆者が初めて聴いたマーラー


アバドが指揮した生演奏を、それまで飛び飛びに5回聴いていたのだが、1回たりともハズレがなかった。聴いたオーケストラは3つ、ロンドン交響楽団とウィーン・フィル、そしてヨーロッパ室内管弦楽団(ECO)を3回。
最初のロンドン響の時は、筆者はまだ16歳で、生まれて初めて海外の一流オケを聴いたので、これはまあ、印象が良くて当然だとして、2回目に聴いたウィーン・フィルも、これはまあ、ハズレがなくて当然だとする。
それでも、新進気鋭の若手奏者を集めたECOを数回聴いてハズレなし、というのは、本当にすごいことだと、今でもこの考えは変わらない。しかも演目は、メンデルスゾーンやシューベルトだ。必ず聴きごたえがあるとは限らない曲目ばかりなのだ。
そんなわけで、自分が実演を聴いた往年の名指揮者の中で、アバドは生演奏で必ず聴き手を満足させてくれる、ライブこそが真骨頂の指揮者なのだと考えている。この考えも、アバドが故人となった今でも変わりはない。
その中で極め付けだったのが、今回紹介するベルリン・フィルとの94年来日公演だ。曲目は、マーラーの交響曲9番。
これは偶然だが、マーラーの9番は筆者にとって思い入れの深い曲で、生まれて初めてプロのオーケストラの実演を聴いたときの曲目だ。
当時、まだ15歳の高校1年生だった。吹奏楽部の先輩たちに連れられて、学校帰りに旧・大阪フェスティバルホールへ行き、朝比奈隆の指揮する大阪フィル定期演奏会でマーラーの9番を聴いた。
このころの大阪フィルは、初めて生オケを聞く高校生の耳にも、全くのへたっぴに聞こえた。朝比奈隆の指揮も不器用で力まかせな感じだった。それでも、マーラー交響曲9番の4楽章、弦楽合奏がうねるように響くのは、まさにライブならではの味わいだった。
それからというもの、初めて実演で聴いていまひとつよくわからなかったマーラーの9番を、機会があるごとにFMのエアチェックで聴き比べた。そうして、数あるマーラーの交響曲の中でも、あれは特別な音楽なのだという認識を深めていった。
80年代から90年代初め、マーラーの9番を実演で聴く機会は、関西にあってはそこまで多くはなかった。だから、筆者がもっとも高く評価する指揮者アバドが、これも世界最高のベルリン・フィルとマーラー9番をやってくれるというのは、一生のうちそうそう何度もない奇跡的なチャンスだった。
ところがおそるべきことに、アバドはそういう機会だとしってか知らずか(もちろん知らないだろう)、筆者にとって一生のうちの五指に入る奇跡のような超名演を実現してくれたのだ。



⒉ アバドとマーラー、奇跡の時間


イタリア生まれの巨匠、クラウディオ・アバドは、若い頃からマーラーの交響曲を自分のキャリアの柱の一つに据えてきた。初めてウィーン・フィルを指揮するチャンスを、カラヤンから直々にオファーされたとき、当時はまだ実演が珍しかったマーラーの交響曲2番をわざわざ演目に選んだほどなのだ。
その後、アバドの録音したマーラー交響曲のレコードは、じっくりと時間をかけて着実にリリースされていった。80年代当時、すでにある程度定着しつつあったマーラー演奏の常識を、アバドの新譜が出るたびに塗り替えてしまうような斬新さがあった。
アバドのマーラー交響曲全集録音が、残すところ、巨大な交響曲8番と、第9番だけになっていた80年代後半、ついにウィーン・フィルとのライブ録音で9番がリリースされた。このときは筆者も、待ち望んでいた究極のマーラー9番をついに聴くことができた、という実感を味わいながらCDに没入して聴いた。
この時の、アバドにとって最初のマーラー交響曲全集の第9番は、当時アバドが音楽監督をしていたウィーン国立歌劇場の選抜メンバーであるウィーン・フィルとのライブ録音で、まさに一期一会の名演を繰り広げている。アバドは80年代半ばからライブ録音を増やしていた。とはいえ、あくまでも録音であるその演奏を再生して聴いても、アバドの生演奏における、打率10割ともいうべき盛り上がりと完成度には及ぶべくもない。それでも、過去のセッション録音によるドライな肌合いのマーラー録音よりも、ライブ録音の方が臨場感があって素晴らしく思えた。
このウィーン・フィルとの9番も、現在の高品質ライブ録音のようにはノイズを遮断せず、ブラッシュアップもそれほどされてない分、マイクが客席や舞台上のノイズをかなり拾っていて逆に臨場感が醸し出されている。
アバドとウィーン・フィルのマーラー演奏のCDは、後年のベルリン・フィルとの録音に比べて、よりロマンティックで抒情的だ。だが、実演を聴いた94年のベルリン・フィルとのマーラー9番では、後年の録音での印象とは違って非常にロマンティックで、思い入れの濃い演奏をしていた印象がある。
しかも、会場が大阪のザ・シンフォニーホールだ。あのホールは、マーラーをフル編成でやるにはちょっと手狭なのだ。名高いベルリン・フィルの巨大な音響が完全に空間に飽和した状態で、いやが上にも濃密な音楽が作り出されていた。
そうして、4楽章終結部で、奇跡のような時間が訪れた。マーラーの第9番の4楽章は、消え入るように終わる。たいていは、数秒その静寂を味わってすぐ、聴衆は拍手を始める。
ところが、この夜は違った。アバドは、よほどマーラーの音楽に没入していたのか、最後の音が消えても、しばらく指揮棒を下ろそうとせず、身動きしないまま立ち尽くしていたのだ。その背中を見つめて、文字通り満席の聴衆は、じっと息を止めて静まり返っていた。
あの空間に、全くの無音状態が少なくとも数分続いた。アバドがそのうちにゆっくり身動きすると、ようやく聴衆も金縛りを解かれたように、拍手を始めた。
それまでほぼ12年間、筆者は幾多のクラシック演奏会、オーケストラ公演を聴き続けていたのだが、そんな経験は初めてだった。プロ中のプロである指揮者と楽団員、それにうるさ型の多い満員の聴衆が、静寂の中にじっと固まり続けたあのような時間を、体験したことはなかった。その後も数十年間、数えきれないステージを観てきたが、後にも先にもあんなことは2度とない。満場の人々が音楽の消えた時間に没入し切って、固唾を飲んで静まり返った体験は、あの時1回きりだ。
あの時のアバドは、本当のところ、どうだったのか? 今となってはわからない。あまりに音楽に集中しすぎて、現実に戻ってくるのに時間がかかったのだろうか。それとも、マーラーの音楽への思い入れを、その静寂の形で表現しようと、決めていたのだろうか。
それに、ベルリン・フィルの団員たちは、あれをどう思っていたのだろう? 本当に、あまりに集中した静寂に、全員が没入して動けなかったのだろうか。
聴衆の側にいた筆者は、客席が誰一人身動きさえせず、じっと金縛りのようになっていたことを証言できる。クラシックの演奏会で、あんな出来事はもはや2度とないかもしれない。それほどの、奇跡の数分だったのだ。



⒊ ベルリン・フィルの音


ところで、ベルリン・フィルの実演を、筆者は94年のこの来日で初めて聴いた。なぜ、そこまでベルリン・フィルの実演に接することがなかったのか? 筆者はそれまでにウィーン・フィルも聴いたし、シカゴ交響楽団も聴いた。ロンドンの3つの代表的オケも、フランスのパリ管弦楽団も、ドイツなら西ドイツ(当時)のバイエルン放送交響楽団も、他の主要な放送交響楽団も聴いた。何より、東ドイツ(当時)のドレスデン国立歌劇場管弦楽団も2回聴いたのだ。ソ連(当時)なら、レニングラード管弦楽団(当時)も、モスクワ放送交響楽団も聴いた。欧米の有名楽団の来日公演は、かなり聴きに行ったといえる。
だが、ベルリン・フィルだけは、あまりに高かった。もちろん、チケットも、ハードルも。それまで、カラヤン存命中のベルリン・フィルの来日チケットは、まさしくプラチナチケットだった。値段も学生には手が届かないし、しかも瞬時に売り切れて入手困難だった。
カラヤンが亡くなって、アバドが首席指揮者になり、ようやく、筆者も聴きに行けるようになった、というのが本当のところだ。
あの当時、アバドが指揮したベルリン・フィルはカラヤン時代と比べて音がどうとか、演奏がどうとか色々語られたが、筆者はカラヤンの実演をとうとう聴き逃したため、比較が難しい。だから初めて聴いたベルリン・フィルの実演に、ただひたすら感銘を受けた、と素直にいえる。
その上でいうと、あの当時、来日オケの実演を聴きまくって、すっかり耳が肥えていた筆者には、ベルリン・フィルが最高、とまでは正直思えなかった。アンサンブルは見事だし、音響的にも素晴らしい。だがオケの音色としては、筆者には80年代後半に聴いたドレスデン国立歌劇場管弦楽団、チェコ・フィル、それになんといってもウィーン・フィルが最高だと思えた。
おそらく、ベルリン・フィルの94年公演では、音圧がザ・シンフォニーホールのキャパシティを超えてしまって、音響が飽和してしまったせいだろう。
だが、同じシンフォニーホールで、前述の3つのオケを聴いた時の響きと比較しても、ベルリン・フィルより、前述の3つのオケの方がよかったと感じたのも確かだ。
筆者のオケへの好みもあって、多数の来日オケを聴き比べた結果、中欧のオケ独特のまろやかな響きが自分の肌に合ったという事情もある。
中欧のオケは、弦楽器のブレンド具合が絶妙で、低音弦楽器の下支えがどっしりとぶ厚い。管楽器群の独特の音色も、他の地域にはない魅力があった。現在ではそうでもなくなったが、80年代後半、つまり東西冷戦期の東欧、中欧の管楽器は、他の地域の音とは明らかに響きが違っていた。その管楽器群が、魅力的な弦楽の上にのっかって、他の類のない特殊なオケの響きを形づくっていたのだ。
その欧州中部の独特のオーケストラ・サウンドを実演で何度も聴いてきた筆者は、ベルリン・フィルの音が、いささか軽くて明るすぎるように感じた。おそらくこの点こそ、アバドが首席指揮者になってから評論家たちがしきりに指摘していた、楽団の音の変化なのだろう。カラヤン時代のベルリン・フィルを実演で聴いていないから、確信は持てないのだが、おそらくアバド以前のベルリン・フィルは、もっと重くて渋めの音色を出していたのかもしれない。
とはいっても、アバドの指揮で聴いたこの時のマーラー9番は、音色云々を別にして、演奏自体が実に深く、迫真の音楽だった。同じくマーラーの9番を実演で聴いた中では、バーンスタイン指揮のイスラエル・フィルの来日公演の演奏と、全く甲乙つけがたい。
ただバーンスタインの場合、オケの実力がベルリン・フィルとは差がありすぎるし、会場も古い大阪フェスティバルホールだった。シンフォニーホールの音響とは比較にならない。それも当時、学生席で聴いた筆者は、あのだだっ広いフェスの2階席の最後部という、最悪の音響条件で聴いたのだ。天井の空調の音がノイズとしてはっきり聞こえる、実に最低な場所だ。それでも、演奏そのもののすさまじい力で、バーンスタインのマーラーに思い切り引き込まれていたのだが。



⒋ もう一つのマーラー9番


もう一つ、マーラーの9番の実演といえば、1988年のノイマン指揮チェコ・フィルの来日公演での演奏だ。

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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/