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「コロナ以後の読書〜村上春樹読書会と聖地巡礼」

「コロナ以後の読書〜村上春樹読書会と聖地巡礼」

土居豊 著


サムネ 春樹読書会と聖地巡礼本 


第1部
【コロナ前、村上春樹読書会で口角唾を飛ばしで議論し、大笑いしながら打ち上げの飲み会を楽しんだ】


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⒈ 村上春樹の原点『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』は、震災前を捉えた貴重な記録だ


(1)


近年、映画『ドライブ・マイ・カー』や韓国映画『バーニング』(原作は村上春樹『納屋を焼く』)など、春樹原作の映画化が国際的にも目立つ。思い返せば、デビュー作の映画化『風の歌を聴け』以来、長らく春樹の長編は映画化が実現しなかったこともあり、映画『ノルウェイの森』は大きな話題となった。春樹の短編の映像化にも佳作が多い。市川準監督、宮沢りえ主演の『トニー滝谷』も見事な中編映画だった。
『風の歌を聴け』を大森一樹監督が手がけた映画版は、ATG作品らしい実験的な映画となっている。ストーリーはほぼ原作をなぞっているし、春樹の文章をナレーションに使って、作品の世界観を無理なく再現している。春樹と同じ中学の後輩である大森監督は、共通の出身地である阪神間から神戸、須磨に至る土地を多数ロケしており、映画には原作の描写そのままの風景も登場する。
ところが95年の阪神淡路大震災で、映画に使われた風景の多くが失われてしまった。だから、この映画は阪神間や神戸の貴重な映像記録ともなっていて、この地域に思い入れのある人には必見だ。
映画版『風の歌を聴け』で若き日の小林薫が演じた主人公「僕」は、クールな語り口が春樹作品の「僕」のイメージにぴったりだ。ヒロイン役の真行寺君枝も、春樹作品に登場する謎めいた美女を巧みに演じている。サックス奏者の坂田明演じる「ジェイ」も、こんなバーのマスターが実際にいそうなリアルさだ。大森版『風の歌を聴け』は春樹ワールドの不思議空間と少し違った肌触りだが、あの時代、あの場所を描いた作品として特筆すべき映画だ。同時に、この映画をみるとやはり春樹の小説『風の歌を聴け』が読みたくなる。小説の映画化は、愛読者にはどうしても小説のイメージが勝るのだ。脳内で完成された自分だけの作品世界の印象に、現実の映像作品が打ち勝つのは難しい。
そんなあれこれを語り合いながら、いつもの読書会で『風の歌を聴け』を読むと、映画『風の歌を聴け』の鑑賞会もやりたくなる。特に阪神間のど真ん中でやっている読書会だから、小説の中の風景そのものを肌で知っている参加者が多い。春樹作品に流れる阪神間の雰囲気は、実際にあの場所に立ってみれば、今でもはっきりと感じることができる。それは震災でも決して失われることのない、山と海に挟まれた風景そのものが醸し出す空気感なのだ。

さらに、『1973年のピンボール』など初期作品を、文学散歩で楽しむというのも、読書体験を広げるきっかけになるだろう。
村上春樹作品の読書会をやっていて、時に参加者からリクエストを受けることがある。中でも、春樹ゆかりの土地を文学散歩したい、という要望は多い。阪神間から神戸にかけて点在する春樹作品の舞台は、季節のいい時期なら散策に絶好の場所だ。
春樹作品の初期3部作、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』には阪神間が多く出てくる。地図で探してもすぐにわかるのが、『1973年のピンボール』に出てくる今津灯台と芦屋市霊園だ。主人公「僕」の親友の青年「鼠」は子供の頃、夕暮れ時の無人灯台を見に通った。そのモデルは、江戸時代から現在まで残る西宮市の今津灯台だと考えられるが、実物を見ると小説のイメージそのままだ。また「鼠」が、付き合った女の子をバイクに乗せて夜景を見に行く山上の霊園は、ロケーション的にも情景としても芦屋市霊園に間違いない。
『風の歌を聴け』の場合、主に芦屋市内が舞台として描かれていた。続編の『1973年のピンボール』では、物語の半分は東京に住む「僕」の日常生活であり、残り半分の「鼠」パートで阪神間が描かれる。「僕」と「鼠」は作者自身をモデルとして、分身のように描き分けられている。人物設定は全く異なる二人だが、阪神間で育った点が共通している。
「鼠」は地元の大学を中退しているのだが、おそらくは関西学院大学だろうと推察できる。その根拠として、「鼠」がその大学の「中庭の芝生」を気に入らなかったというエピソードがある。読書会の際に聞いた地元の人の意見でも、阪神間の大学で「中庭の芝生」が有名なのはやはり関西学院だという。
この読書会メンバーたちを中心として春樹文学散歩を実施し、芦屋から西宮にかけて歩いてみた。『1973年のピンボール』に描かれた印象的な情景の中で、場所が特定できないものはあるが「護岸ブロック」「防砂林」など、芦屋の海岸通りを歩くと今もそれらしき物をみることができる。また、雨天時を選んで芦屋川河口を散策すれば、小説に書かれている「雨に濡れた砂浜」も味わうことができる。この芦屋川河口のわずかに残った砂浜は春樹文学の原点の一つであり、「僕」と「鼠」が友情を誓った場所だ。わずかに残る砂浜以外は埋め立てられてしまってもう海は見えないのだが、その場所に立てば春樹ワールドの空気感を感じ取ることができるのだ。


※芦屋川の河口から、六甲山をのぞむ

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※芦屋霊園から大阪湾方面をのぞむ

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(2)春樹の初期2作についての、読書会レポートや資料など


1)『1973年のピンボール』は『風の歌を聴け』の後日譚である


『風の歌を聴け』の1970年の夏以後、1973年の秋まで、が描かれる。
本作は、のちの村上作品の原型が、ほぼそのまま書かれている。

〈「僕」&「鼠」は作者の分身〉

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』での主人公の分身(影)につながる。

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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/