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【小澤征爾追悼記事】小澤征爾とベルリン・フィル、そしてNHK交響楽団との関係など

【小澤征爾追悼記事】
小澤征爾とベルリン・フィル、そしてNHK交響楽団との関係など




故・小澤征爾がベルリン・フィルのカラヤンの後継者だと噂されたのは、理由がないこともない。
今回、1986年のサントリーホールのオープニング記念演奏会のNHK再放送を試聴した。病気キャンセルのカラヤンの代役に小澤征爾が登場し、期せずして日本で初めて小澤指揮のベルリン・フィルの演奏が実現したことも、ベルリン・フィルが小澤を信頼している表れだったのだろう。
小澤がベルリン・フィルの定期演奏会に登場したのは、ずいぶん若い頃だ。それ以来、幾度となく定期演奏会を指揮し、カラヤン存命中からドイツ・グラモフォンで録音も始めていた。周知のように、カラヤン存命中、ベルリン・フィルとの録音は、よほどカラヤンの信頼が厚い指揮者でないと、許可されなかった。その観点からも、小澤がカラヤンの後継者になってもおかしくはなかっただろう。
それでも、カラヤン没後の後継指揮者選びで、小澤は選ばれず、アバドに決まった。そのあたりの経緯はおくが、その後も、アバドの方針が広く客演指揮者に任せるという方向だったこともあり、小澤とベルリン・フィルは蜜月を続けている。優れた録音も多く、プロコフィエフの交響曲全集などの企画も実現している。
だから、1986年のベルリン・フィル来日公演をカラヤンの代役で指揮した小澤の演奏は、本当ならNHKが生中継した映像と音源を、ビデオなりCDなりで発売すればいいはずなのだ。
もちろん、ベルリン・フィル側との権利交渉次第ではあるが、小澤征爾の追悼盤という趣旨であれば、認められる可能性は高いのではないか?


※小澤のベルリン・フィルとの演奏について
「リアタイ視聴の感想〜NHKBS 2024年3月18日 小澤征爾 指揮 ベルリン・フィル演奏会 1986年来日公演」


《小澤征爾の指揮、ベルリン・フィルの演奏、サントリーホールのオープニング記念演奏会をNHKが収録生放送していた1986年の映像を、NHK-BSで深夜放送していたので、リアタイした。
これは、元々はカラヤンが指揮するはずだった演奏会だが、病気キャンセルで小澤が代役で登場したもの。》
【BS】2024年3月18日 午前0:05~
小澤征爾 指揮
ベルリン・フィル演奏会
1986年来日公演


※小澤征爾とベルリン・フィルの主な演奏歴


1966年 定期演奏会 ベートーヴェン交響曲1番
68年 定期 マーラー交響曲1番
75年 ベルリン音楽祭25周年 マーラー交響曲8番
79年 定期 チャイコフスキー交響曲6番
82年 ベルリンフィル創立100年ガラコンサート
   定期 ベートーヴェン交響曲7番
83年 定期 チャイコフスキー交響曲5番、ブラームス交響曲4番
84年 ザルツブルグ聖霊降臨祭音楽祭 カラヤンの代役で、チャイコフスキー交響曲5番
    定期 バッハなど3プログラムで
86年 サントリーホールオープニング カラヤンの代役で
    定期 シューマン交響曲2番など2プログラム
87年 定期 ベートーヴェン交響曲8番
88年 ザルツブルグ聖霊降臨祭音楽祭 シューマン交響曲2番ほか
    定期 オルフ「カルミナ・ブラーナ」(晋友会合唱団と)
89年 定期 プロコフィエフ交響曲1番、7番
カラヤン死去


ところで、小澤がウィーン国立歌劇場の音楽監督に選ばれたのちも、ベルリン・フィルとの共演は続いたが、もし小澤がボストン響音楽監督からベルリン・フィルの指揮者に選ばれていたとしても、欧州のメジャーオケの音楽監督の重責は、結局は彼の生命を削ることになったに違いないと思う。ウィーンでのオペラの監督時代に、小澤はその後の寿命を縮めたように思えてならないからだ。アメリカのメジャーオケの音楽監督でさえ、人種の壁は厚く、小澤はいろいろ苦労が絶えなかったように見えるが、欧州の場合は、どうしても東洋人の監督というのは、最終的に許容されないような雰囲気がある。少なくとも、小澤のように日本人であることを捨てる気が全くないような人物に、欧州の名門歌劇場を長く続けられるとは、なかなか想像できない。
だから、小澤にとって、本当は日本の音楽界で最大級のポストが用意されるべきだったのだと、今にして思うのだ。小澤が日本に回帰したのも、自身の師匠・斎藤秀雄への義務感で、サイトウキネンと、音楽祭を立ち上げたからだ。それらはほぼ小澤の自力で、全てを小澤におんぶに抱っこだから、小澤なきあと、今のサイトウキネンや音楽祭が、どのように続いていけるのか、先行き不透明だ。ヘタしたら、小澤なきあと、サイトウキネンや音楽祭はフェイドアウトしていくかもしれない。そうなると、結局、小澤が生涯かけて築いてきた音楽の遺産は、欧米にも根付かず、日本にも根付かないままにいつか忘れられていくのかもしれない。
このように、暗い予想ばかりしてしまうのも、小澤死後の日本メディアや音楽界、言論界が、彼の生前の華やかな業績をただ称賛するだけで、その黒歴史たる「N響事件」や「日フィル」関係のあれこれを、忘れたようにしているからだ。
ああして称賛するだけでは、すぐに消費されていずれ忘れられていくのは明白だ。
本当は、小澤が欧米で実力を発揮していた時点で、NHK交響楽団やNHKが、平身低頭して彼を故国に迎えるべきだったのだ。あるいは、新国立劇場ができた時点で、日本の音楽界全てが一致して彼にひたすら懇願し、日本を代表する国立歌劇場の監督に迎えるべきだった。
それができなかったのはどうしようもないが、最悪でも、小澤がボストン響を離れた時点で、N響か新国立劇場に、音楽監督として迎えるべきだった。ウィーンに引っこ抜かれたのだが、それでも日本の国をあげて彼を故国に迎えるべきだった。
そうしなかった時点で、もう小澤征爾の日本人音楽家としての生涯は、最後まで祖国にも国外にも本当の故郷を得られないままで終わることは、運命付けられていたといえよう。
思えば、今はない満州国で生まれてから、日本を飛び出して欧米で修行して第一線の音楽家となり、最後まで異邦人のままで生涯を送った孤高の指揮者、というイメージで小澤征爾をとらえなおすことが、今後の小澤研究の第1歩ではあるまいか。


※参考
(引用 『音楽』小澤征爾 武満徹 著 新潮文庫より)
《小澤「僕がNHKを目の敵にしていると思われると困るんだけど、イギリスのBBCと、カナダのCBCと、日本のNHKとはその経営形態が似ている。
(中略)
音楽にとって一番大事なことをやっていないのはNHKだね。音楽にとって何が一番大事かというと、それは音楽家だよ。》


《小澤「もうひとつ日本の音楽界に欠けているのは、興奮と言ったらおかしな言い方だけど、音楽をやる興奮だよ。
(中略)
音楽をするエキサイティングな状態を作らなければいけないな。そしてそういう場所と組織と人材と金を最も持っているはずのNHKとその交響楽団がもっとしっかりしてほしいんだよ。その自覚をNHKは持つべきだよ。》


《武満「日本で国立のオペラ劇場をつくる話がありますね。僕個人の感じから言いますと、日本が国立のオペラ劇場をつくるについては、そんなに賛成じゃない」
(中略)
小澤「もし今度オペラ座の専門の劇場ができればね、そこはもうはじめからさ、東京都だか国だか知らないけど、どこが管理するにしても、オペラ座らしく、世界のやり方でやれなくちゃね。
(中略)
オペラはそうはいかない。四時間ぐらいかかる。すると朝の十時の練習は絶対できないわけだ。日本では。そんなすごい現場の制約が日本にはあるのよ。》


この小澤征爾と武満徹の対談は、1978年から79年にかけてのものだ。
だが、ここで語られている日本の音楽界に対する問題意識は、21世紀の今も、なお、同じことが言えそうな気がする。少なくとも、小澤征爾がN響なり、新国立劇場なりで仕事をして、彼のいわゆる「世界のやり方」を定着させていれば、今ごろ、日本の音楽界はもっといいものになっていたかもしれない、と思ってしまうのだ。


※【小澤征爾追悼】
「世界の」小澤と「世界の」村上春樹


※小澤征爾のオペラの思い出 ヘネシー・オペラ・シリーズ・ヴェルディ『ファルスタッフ』

ヴェルディ『ファルスタッフ』
指揮:小澤征爾、演出:デイヴィッド・ニース、舞台デザイン:ジャン=ピエール・ポネル
サー・ジョン・ファルスタッフ:ベンジャミン・ラクソン、クイックリー夫人:フィオレンツァ・コソット、ナネッタ:ドーン・アプショー 他
新日本フィルハーモニー交響楽団
1993年5月16日、尼崎・アルカイックホールにて


※エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」
第32回小澤征爾 指揮 ボストン交響楽団 来日公演 1994年〜ベルリオーズ・フェスティバル〜
(期間限定・無料公開中)

小澤&ボストン響来日公演
第22回 小澤征爾 指揮 ボストン交響楽団 来日公演 1989年


※土居豊の音楽エッセイマガジン発売中

クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会

関西オーケストラ演奏会事情

コロナ禍の下での文化芸術

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