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連載更新!エッセイ「コロナ以後の読書〜村上春樹読書会と聖地巡礼」  第1部 ⒊ 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と東京五輪、そしてノルウェイ

土居豊のエッセイ「コロナ以後の読書〜村上春樹読書会と聖地巡礼」
第1部
【コロナ前、村上春樹読書会で口角唾を飛ばしで議論し、大笑いしながら打ち上げの飲み会を楽しんだ】


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⒊ 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と東京五輪、そしてノルウェイ

(1)世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドとアンダーグラウンド



読書会でこの長編を課題にする場合、長いので2回に分けるようにしている。デビュー以来最長の小説で、春樹作品のベスト1だと推す意見も多い。本作のヒロインが図書館司書であるせいなのか、読書会に図書館職員の方が参加されることもある。
題名通り「世界の終り」と「ワンダーランド」の2つの世界が交互に描かれるのだが、「世界の終り」パートで主人公は不思議な街に迷い込む。そこは壁に囲まれていて、中に入ると影を切り離されてしまう。最近、まるで「世界の終り」の街の壁みたいなものが、作家・村上春樹を生んだ千駄ヶ谷のほど近くに出現した。フィクションの世界が現実になったような錯覚を感じさせる。その壁は東京五輪の新国立競技場なのだが、周囲の神宮外苑の風景とは不調和な感じだ。それまでなかった巨大物体が唐突にそびえ立っているので、本当に世界を区切る壁が出現したように感じる。
春樹の小説では、まさにこの場所の地下に、「ワンダーランド」世界を支配しようとする謎の生命体「やみくろ」の巣がある。春樹は地下鉄サリン事件を取材したノンフィクション『アンダーグラウンド』の序文で、事件と自作中の「やみくろ」との類似に言及した。自作と現実の類似点が、21世紀になって再び神宮外苑に現れると、春樹自身は想像しただろうか。新国立競技場の近くに、作家・村上春樹を生んだ町、千駄ヶ谷商店街がある。商店街では毎年、ノーベル文学賞イベントを開催している。そこには、春樹が作家になる前に経営していたジャズバーがあった。毎日閉店後に書きついだデビュー作『風の歌を聴け』の着想は、商店街から徒歩すぐの神宮球場で野球を見ていた時、突然宿ったという。神宮外苑は作家・村上春樹の生まれた場所として、文学史に記憶されるだろう。絵画館前の一角獣像は「世界の終り」に登場する一角獣を思わせ、「ワンダーランド」の描写には外苑周辺のラーメン屋まで登場する。
実は春樹が本作を執筆時、ちょうどロス五輪が開催されていて、五輪についてエッセイも書いていた。当時春樹は五輪に全く興味がなかったらしいが、その後シドニー五輪を取材して書いたノンフィクション『シドニー!』の中で、五輪について考察している。21世紀の東京五輪は、春樹にも古馴染みの神宮外苑を全く違う空間に変えてしまうかもしれない。



※村上春樹がジャズバーを経営した千駄ヶ谷界隈は、東京五輪の再開発で様相一変した

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※村上春樹が小説を書こうと思い立った場所・神宮球場

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(2)『ノルウェイの森』読書会で叱られたことなど


読書会で『ノルウェイの森』を扱った時、参加者に年配のご婦人がいて、その感想が「こんなふしだらな内容の小説をなぜ読むのか?」というものだった。
『ノルウェイ』は確かにスキャンダラスな描写で有名ではあるが、小説の内容について「ふしだら」という感想はそれまで耳にしたことがなかったため、いささか焦ってしまった。実のところ、どう返答したか覚えていないぐらい、あたふたした。後でよく考えると、なぜ自分が作者の代わりに叱られなければならないのか?と理不尽に感じた。それは冗談だが、とにかくこの時の参加者の「ふしだら」説には、他の参加者も困惑させられたようだった。アンチ春樹を公言する参加者の場合でも、小説が「ふしだら」だという感想はなかった。なぜなら、小説というものは基本的に何を書いてもあくまでフィクションだ、という共通認識があルはずだからだ。
だが、「ふしだら」説を聞いて「なるほど、小説をフィクションだと受け取らない人も世間にはいるのかもしれない」と気付かされた。また、たとえフィクションであっても性的な内容を露骨に書くべきでない、という認識の人もいるのだ、ということがよくわかった。
『ノルウェイ』には特に思い入れの強い読者が多く、読書会でも様々な意見が飛び交う。よく、登場人物の中で好きなのは、ヒロインなら「直子」派か「緑」派か?という質問をするのだが、その答えに、それぞれの女性観や人生観までが表れているように思える。
「『ノルウェイ』に出てくる、春樹氏が大学生のころ住んでいた学生寮に自分も住んでいた」という年配の参加者もいて、当時の状況を詳しく話してくれたこともあり、興味深かった。
筆者自身もそうなのだが、村上春樹作品では『ノルウェイ』を最初に読んだという読者は多い。『ノルウェイ』が大ベストセラーになったことで、春樹作品の読者層が広がったのは間違いない。とはいえ、実のところ筆者は『ノルウェイ』を最初あまり気に入らなくて、さかのぼって初期の作品を読んでから春樹ワールドの魅力にはまった。初期の作風と比較すると、『ノルウェイ』は春樹ワールドの中で異色作だといえる。
「ふしだら」説を述べたあの人にも、もっと別の春樹作品を読んでもらえたら、と思う。初期作の場合「ふしだら」でない作品が多いので、再チャレンジしてもらえたら、と願っている。


※神宮外苑の風景を一変させた新国立競技場

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※村上春樹の母校・兵庫県立神戸高校

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※「ノルウェイの森」の直子が手術をした病院のモデル・西宮回生病院

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(3)読書会レポートや資料など

【土居豊による、読みの視点】


1)『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が現実世界に投げかける予言
やみくろ=地下鉄サリン事件?

やみくろの聖地が旧・国立競技場の地下にあるという偶然

計算士、記号士、組織(システム)、ブレイン・ウォッシュ、シャフリングといった現代の情報社会を先取りするアイデア

2)「世界の終り」の世界は本当に理想郷?
『涼宮ハルヒの憂鬱』の世界との共通点

3)私&僕をめぐる女たち
図書館司書、「世界の終り」の図書館の彼女は、同一人物?

ピンクの彼女の抱える寂しさ、心の問題

4)主人公の分身たち
私と僕は本当に同一人物?

僕と影の関係

「世界の終り」から脱出した影は、どうなった?

5)結末の意味を考える
残った方がよかった? 脱出した方がよかった?

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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/