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土居豊の文芸批評 映画編ノーラン監督・アカデミー賞作品『オッペンハイマー』〜男の嫉妬、やっかみ、恨みのこわさ

土居豊の文芸批評 映画編
ノーラン監督・アカデミー賞作品『オッペンハイマー』〜男の嫉妬、やっかみ、恨みのこわさ




(1)『オッペンハイマー』は「逆・アメリカンドリーム」映画


映画『オッペンハイマー』で、ノーラン監督はアカデミー賞を総なめにした。必見の映画ではあるが、相当体力と気力が必要なのも確かで、みんなにおすすめするのはちょっとためらう。また、科学的・歴史的予備知識は、たくさんあればあった方が楽しめることも、間違いない。20世紀の科学史や、第二次大戦史に興味があれば、絶対楽しめる映画だといえる。
また、本作は音楽・音響効果が非常に重要なので、大スクリーンかドルビー(があれば)などをおすすめする。
さて、本作は昨年、日本公開が見送られてしまい、反核の視点から妙なレッテル張りがされてしまった。だが、本作はいわゆる原爆(核兵器)映画ではない。そもそも、日本人の観客が被爆国の国民としてどうみるか?などは最初から全く考慮されていない。だから、そこを批判してもしょうがないのだ。これは、あくまで米国人が一番楽しめる映画として作られている。
一言でいうと、本作は「逆・アメリカンドリーム」映画だ。
一人の著名なアメリカ人男性を主人公に、その生涯の栄光と凋落を実に巧みに描き出している。周囲の人物像も、キラ星のごとき史上有名な人ばかりだから、本作は間違いなく歴史もの(近現代)ではある。

(ここからは、ネタバレするので、未視聴の方はご注意を)






(2)映画史上初?の核爆発の可能な限りリアルな描写


おそらく映画史上初めて、核爆発の(可能な限り)リアルな描写があった。
これまで、核爆発を映画やテレビで描く際には、どうしても「爆発」の巨大なもの、という映像と音響の作り方がされていた。それは被爆国の日本の作品でも同じだ。
しかし、本作は、違う。まず閃光の描写、続いて音、そして衝撃波、という丁寧な作りだった。何を言っているのかわからないだろうから、ここはもう、実際に観てもらうしかない。この場面だけでも、本作は観る価値がある。
ちなみに私自身、「トリニティ」実験の場面で、閃光にみなが驚いている描写に見入っているうち、ものすごい爆発音に不意打ちを喰らって、ほんとにびびったのだ。
衝撃波の描写も、想像していた以上の凄さだった。
私はかつて、大著『原子爆弾の誕生』(リチャード・ローズ著)を読んで、量子力学と原子物理学あたりの科学史に興味を持った。だから、核爆発がいわゆる爆弾の爆発とは根本的に原理が異なる点を、常々知りたく思っていた。それまで、たいていの核爆発シーンは、普通の爆発を単に巨大にした印象だったからだ。
その辺りの詳しい解説は、今回の『オッペンハイマー』でも、一見してわかるというわけにはいかない。それでも、「トリニティ」での閃光と爆発音の間に異様なほど間隔がとってあったのは、おそらく核兵器の爆発原理の違いを強調しているものと思われる。


※参考
『原子爆弾の誕生 上』リチャード・ローズ 著
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784314007108





(3)男の嫉妬、やっかみ、恨みのこわさ


後半、第二次大戦後のオッペンハイマーへの国家安全保障会議の審問場面はいささか冗長なので、歴史上の事情がわからないと退屈するかもしれない。
本作は、人間ドラマとして、嫉妬のあまりオッペンハイマーを陥れるストローズの執念深さを見事に描いている。ロバート・ダウニー・Jrがアカデミー助演男優賞をとったストローズは、ドイツ名シュトラウスを英語読みしたという。この場面が印象的で、初対面のオッペンハイマーが彼を「シュトラウス」と呼ぶと、「ストローズ」と読み方を訂正し、それに対して「オッペンハイマーはどう読んでもユダヤ系だとわかってしまう」とジョークで返すオッペンハイマーが、とてもいい感じだった。
脇を固める名優たちはそれぞれ見事だが、原爆開発の相棒役だった米国陸軍のグローヴズ准将を演じたマット・デイモンがはまり役だった。史実では恰幅のいい大男だったグローヴズに似せて、かなり体重を増やしたという。
アインシュタインについては、史実から逸脱して、いい役をさせすぎかな、と感じた。事実関係としては、映画中でエドワード・テラーの指摘する「核分裂の連鎖反応で大気に点火」説について、心配したオッペンハイマーが検算をしてもらったのは、アインシュタインではなくコンプトンだ。
それでも、プリンストンのアインシュタインの場面で、同僚のゲーデルがちょこっと出ていて思わず笑えた。
「水爆の父」エドワード・テラーが本作では完全悪役扱いなのは、いささか気の毒に思える。事実関係は、米国の水爆開発は1942年7月にコナントのS1実行委員会で開始された。だから、映画中でテラーを「水爆」きちがいの誇大妄想みたいな描き方をしたのは、かなり誇張だ。




(4)原爆の父オッペンハイマーは、ブラックホール理論の父でもあった


主役のオッペンハイマーのキリアン・マーフィの演技は、鬼気せまるものだが、ケンブリッジ大時代に先生に毒を盛る場面も、ほぼ実話だ。若い頃からやばいやつだったのだ。ニューメキシコに牧場を持っていた話も実話だが、あの大雨のキャンプ場面が伏線とは思わなかった。さすがノーラン監督、油断ならない。
ノーランの苦心の演出といえば、のちにソ連のスパイだとわかるクラウス・フックスをこっそり?目立たせるために、爆破実験の時に何度も「頭下げろ!」と怒鳴られる場面があった。
若い頃のオッペンハイマーが、のちにブラックホールとなる理論を発表したことを、美しい映像と絡めて表現しているのも、映画『インターステラー』で見事にブラックホールを描いたノーランならではの場面だった。
細かいことだが、核分裂の発見の場面で、ドイツのオットー・ハーンの名前しか出ていなかった。これは、今となってはやはり不公平で、本作では女性たちの生き様は残念ながらあまり描かれない。
核分裂の共同研究者リーゼ・マイトナーのことが歴史上無視されているのを、最近出た岩波書店のマイトナーの伝記が書いている。

※参考
『リーゼ・マイトナー 核分裂を発見した女性科学者』マリッサ・モス 著 中井川玲子 訳 岩波書店
https://www.iwanami.co.jp/book/b641558.html





日本人観客として辛かったのは、第二次大戦末期、対日戦の戦略をオッペンハイマーが相談されてる場面だ。「諜報によると、日本は何があっても降伏しない。全島を占領されない限り。だから原爆が必要」という説明があったが、今もこの指摘を否定できない。事実そうだったからだ。
しかもオッペンハイマーは「原爆を1回使えば日本も理解する」と言っていたが、現実には1回では理解せず、2発目を落とされてもなお継戦しようとしていたのだ。実に情けない。


最後に、蛇足だが、『オッペンハイマー』はアカデミー賞作品なのに、R15だった!
その理由はただ一つ、あのメンヘラ女のせいに違いない。
(はっきりいって、オッペンハイマーが愛した女性ジーン・タトロックの描き方は酷かった。演じたフローレンス・ピューは渾身の怪演だったが)
本当は、この映画、中学生ぐらいからみせていいのだがなぁ。


ジーン・タトロックの魅力については、以下の上中下3冊セットをぜひ!
(映画では、ピューの素晴らしい裸身も…)

※参考
『オッペンハイマー 上 異才』カイ・バード マーティン・J・シャーウィン 著 ハヤカワ文庫
https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000015708/





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