見出し画像

【美術館・博物館の訪問記録】東京国立近代美術館


美術館のレビューは、前回の三菱一号館美術館以来です。

「美術展の不都合な真実」で、著者が企画展があれば必ず行く美術館として挙げていたところです。ようやく訪問することが出来ました。

皇居の真横、東西線竹橋駅から徒歩3分と、美術館としては屈指のアクセスの良さを誇ります。

私が行ったときは、特段企画展などはなく、常設展のみでした(厳密にいうと、「MOMATコレクション」という所蔵作品展をやっていました)。平日の午後に訪問したこともあり、人影はまばらで、じっくり見ることが出来ました。


名前の通り「近代」美術館であり、作品としては明治以降の作品が多かったです。有名な所蔵作品は、東山魁夷の「道」とか、和田三造の「南風(なんぷう)」とかでしょうか。


私が行ったときは、「道」はなかったですが、「南風」は掲載されていました。絵からは「やってやるぞ」という気持ちが伝わってきて、惹かれました。写真撮ればよかったな、と思っています。

他に有名な作者では、藤田嗣治、奈良美智の作品などがありました。(なお、余談ですが、奈良さんの作品は写真撮影禁止でした)


この美術館全体の特徴ですが、作品の解説が面白いです。なんというか、クスりとくるユニークさがあります。例えばこちら。冨井大裕さんの「roll」という作品の解説です。

20211024_紙の作品

ご覧のとおり折り紙でできた彫刻です。雑に扱うと壊れそうで心配ですが、壊れたら新しく作っていいし、展示のたびに新しくしてもいい決まりです(だからって触ったりしないでください)。市販の折り紙セットの27色をすべて順に使い、1枚ずつロール状にまるめてホチキスで留め、4本のロールを真四角に組んだ形が基本ユニットです。作品1点ごとにユニットの組み合わせ方が異なり、それぞれの組み合わせ方は、収蔵庫にある指示書に記されています。誰が作ってもよい。それなら、作品は何をもって作品なのでしょうか?この華奢な彫刻はこの他にもさまざまな論点を提示します。


この美術館は4階建てで、ざっくりいうと4階から2階に行くにしたがって時代が新しくなっていきます。

特に4階で感じたのですが、「洋画の要素をどうやって自分のものとして昇華させるか」に作者自身が闘っている印象を受けました。極端な話、例えば印象派的な作品が欲しいのあれば、ヨーロッパの画家の絵を買えばいいわけです。そんな中で、敢えて日本人の自分だから描ける絵は何か、ということに向き合っている、というか。


ちょっと話がずれますが、高校生だった時に、夏目漱石の「私の個人主義」という話を読んだのを思い出しました。夏目漱石は英文学を専攻していましたが、当時の風潮として、(英文学に限ったものではなかったようですが)西洋人の主張が常に正しく、日本人はそれを唯々諾々と受け入れて、何ならそれを引用して威張っているというものがあったそうです。

 たとえば西洋人がこれは立派な詩だとか、口調が大変好いとかいっても、それはその西洋人の見る所で、私の参考にならん事はないにしても、私にそう思えなければ、到底受売をすべきはずのものではないのです。私が独立した一個の日本人であって、決して英国人の奴婢でない以上はこれ位の見識は国民の一員としてそなえていなければならない上に、世界に共通な正直という徳義を重んずる点から見ても、私は私の意見を曲げてはならないのです。
 しかし私は英文学を専攻する。その本場の批評家のいう所と私の考えと矛盾してはどうも普通の場合気が引けることになる。そこでこうした矛盾が果して何処から出るかということを考えなければならなくなる。(中略)たといこの矛盾を融和することが不可能にしても、それを説明することは出来るはずだ。そうして単にその説明だけでも日本の文壇には一道の光明を投げ与える事が出来る。
出所:「私の個人主義」(夏目漱石)


 明治時代は、自分たちより圧倒的に優れていると思われていた欧米諸国に対して、どう向き合うかが一つのキーテーマだったと私は思っているのですが、絵画においてもそれを少しだけ感じました。


 また、以下は美術館の解説にあってとても面白いと思った解説です。是非読んでほしいので、画像と文字起こし、両方してみました。


 近代とはそもそも何か、というのは「近代」の作品を扱わなければならない美術館が抱える宿命だと思っています(もっと云うと、近代を区別するためには、「現代」が何かも自分なりに定義しなければならないはずです。そもそも、近代=現代、と考える人もいるでしょうが)。例えば古代の作品を扱う美術館からすれば、古代の時代の定義が変わることは、少なくともその学芸員の方の一生で変わることはないと思いますが、近代の場合はどこまで近代なのか、そしてその定義次第で何が近代を象徴とする作品となるかも変わってくると思います(この美術館は1952年創立だそうですが、その時はまさか1952年の作品が”近代”扱いされることになるとは思わなかったのではないでしょうか)

 この美術館の展示・解説が面白いのは、常に学芸員の方々が「そもそも近代とは何なのだろうか」を考え続けているからかもしれません。


20211024_問題提起

 この部屋では、(1点の例外をのぞいて)1960-80年代末の作品を紹介します。
 東京国立近代美術館(1952年開館)の「近代」とは、「modern」など西欧言語の訳語で、近代の、現代の、近頃の、いま風の、と時に応じてさまざまな訳があてられてきました。70-80年代、日本では美術館の建設ラッシュが起き、「近代」を冠した美術館が各地に開館します。そしてこの建設ラッシュと近代という名づけ(ブーム?)は、80年代末頃に終息していきます。これにはバブル崩壊や、80年代盛んに論じられたポストモダン(モダン以後)という動向も関係しているでしょう。
 「近代はすでに終わってる?」、「近代と現代の区分は?」、「いや、名前の問題じゃないのでは?」…、同時代の美術を90年以降も扱い続ける「近代美術館」には、なかなか大問題です。以上のような関心から、今回の展示の結びを「近代」にとってひとつの転換である80年代末の美術としました(みなさまとこの問題を少し共有してみたいという希望を込めつつ)。


 なお、作品群のなかで、私が一番気になったのは実は日本画でした。中村大三郎という方の「三井寺」という作品です。

20211024_三井寺

解説は、以下の通りです。

能の演目のひとつ「三井寺」は、我が子の行方を捜す女性が主人公です。物狂いとなった女性がたどりついたのは、中秋の名月を迎えた三井寺でした。騒ぎに気付いて集まった僧たち。そのなかには女性の息子、千満がいて、涙の対面を果たしますが、この二人が再開するきっかけは三井寺の鐘の音。大きな満月の下、女性はまるで月光そのものを思わせるよな配色の着物を着ています。実はこの着物の色も黒い笠も、能舞台に取材したものでした。


次回ですが、奈良県の「大和文華館」と「中野美術館」に行ってきましたので、そちらのレビューを書きたいと思っています。

サポートもとても嬉しいのですが、「この記事、まぁまぁ良かったよ」と思ってくださった方は「スキ」を、「とっても良かった!また新しいのを書いたら読ませてね」という天使のような方は、フォローしていただけるともっと嬉しいです!