【読書日記③】ゼロ金利との闘い 日銀の金融政策を総括する(著者:植田和男/日本経済新聞出版)
<きっかけ>
お客さんとの会話の中で、「植田さんってどういう考えを持っている人なんだろうね」と聞かれた際に適当な言葉しか出てこず、自分なりの見解を述べたいなと思って読みました
<読む前に>
植田さんは現在の日銀総裁です。元々は大学の先生であり、1998年4月~2005年4月まで日銀の政策員会審議委員をされていました。ちなみに、日銀の政策委員会は総裁(1人)、副総裁(2人)、審議委員(6人)であり、審議委員は日銀の政策を決めるうえでキーマンと言っていいと思います
出版が2005年12月ですので、そもそも問題意識が今とは違います。当時はデフレをどうやって抜け出すかがメインテーマでした。1998年から消費者物価指数はマイナスとなりましたが、黒田総裁になる2013年までずーっとマイナスでした
デフレとは一言でいえば、「手元のお金が黄金に代わっていくこと」です(正確にはモノの価値に対して、お金の価値が高まることですが、この例が一番感覚的にわかりやすいと思っています)デフレの何が問題かというと、お金を使わなければどんどん黄金に変わっていくわけですから、世の中の人は積極的にお金を使おうと思わなくなるんです。すると、経済活動が停滞してしまうことになります
金融理論的には中央銀行が政策金利を引き下げて、市中の銀行にお金を貸し、世の中にお金を拠出することで事態を変える(お金が世の中に大量に出回る→モノに対するお金の価値が下がる→デフレからインフレへ)はずだったのが、日本の場合はゼロ金利の世界に突入してしまい、これ以上金利を下げることができなくなってしまった、という状況です
そんな時代に、日銀は何を考えて、どういう取り組みをしていのか、という著者なりのレビューです
<目次>
マクロ経済・金融情勢-概観
ゼロ金利周辺における金融政策-鳥瞰図
1998年から2005年までの日銀(およびFED)の金融政策
時間軸政策の導入
学界における金融政策論議と時間軸政策
時間軸政策の効果の実証分析
短期金融市場における金融政策の効果
「失われた10年」のマクロ経済学
構造問題と金融政策
あとがきに代えて-残された論点、これからの論点
※全くの素人が読んでも当時の状況が分かるように、という著者の配慮が見え隠れする目次です
<これいいな、と思った観点>
1998年以降にあっても、お金の供給は大量に増えたがインフレにはならなかった。そのため、量的緩和策の評価は微妙なものになる
短期金利がゼロに低下すると、金融政策の発動余地は消滅してしまうかどうかが、この時期の日銀が毎日考えていたテーマだった
ポール・クルーグマンの「量的緩和策」をめぐる議論が、当時の学界ではゼロ金利施策における望ましい施策とされていた。
クルーグマンの議論を単純化すると、(一時的ではなく)持続的なマネタリーベースの引き上げにある。将来のマネタリーベースが増大する(お金が世の中にたくさん出回る)から、将来の物価水準が上昇するという期待が生まれ、将来へかけてのインフレ期待が生まれる、というもの
ただ、この理論には弱点があり、お金を増やしていればいつかは物価が上がると言っているのと同じで、すでに流動性の罠に陥っている日銀にとっては説得力がない。クルーグマンの全体の議論の枠組みを壊さないで正当化させるには、世の中の人々に「今後投資機会が生まれるかもしれない。仮に投資機会が発生して、本来であればお金の供給量を絞るような局面でも、お金の供給は変わらず増加するよ」という期待を持たせることが出来れば、物価を上昇させることが出来るはず、という整理になる
これを金利で表現すれば、「通常なら金利を引き上げる局面においても、当面は据え置くよ」ということになる。つまり、クルーグマンの主張と当時の日銀の施策は実質同じなのだが、世の中には理解してもらえなかった
当時の日銀施策の結果として、クレジットカーブのフラット化(本来であれば、財務健全な先が信用リスクが低く、要求される金利も低く、財務が危ない先は金利が高くなる。フラット化=この格差がなくなってしまったことをいう)などは起きた。ただ、肝心のデフレを無くすには至らなかった
そもそも日本経済停滞の原因はデフレでなかった可能性がある。資産価値暴落に伴う銀行セクターの問題(不良債権の山となったため、貸出が十分にできなかった)、生産性上昇率が大幅かつ持続的に低下した、など。
<類書>
2008年~2013年まで日銀総裁だった白川さんによる回顧録です。ちなみに植田さんの本にも目を通してくれて、コメントをくれたと感謝の言葉が載っていました
白川さんが総裁時代、私は学生であり詳しい日銀施策など知りませんでしたが、その当時の自分の記憶でも、白川さんに対する評価はあまり高くなかったと記憶しています
ただ、その後総裁になった黒田さんの施策が(恐らくですが)史上稀に見る失敗となったことを踏まえると、再評価されてもいい人な気がしています
まだ読んでいる最中なので、これも読み終わったら簡単な紹介が出来ればと思います
<一言感想>
単純な量的緩和に否定的だった植田さんが、量的緩和をやりまくった黒田さんの後任というのは歴史の皮肉を感じます。どういう気持ちで取り組まれているんでしょうね
サポートもとても嬉しいのですが、「この記事、まぁまぁ良かったよ」と思ってくださった方は「スキ」を、「とっても良かった!また新しいのを書いたら読ませてね」という天使のような方は、フォローしていただけるともっと嬉しいです!