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ざざっ うねうね ぎらぎら ねっとり。

友人と毎月開いている自由律俳句の会がある。7月のテーマは「海」「島」「川」で、それぞれが自由律俳句っぽいのものを持ち寄って解釈し合う。「っぽいもの」なのは、誰一人として自由律俳句がなんたるかを知らないから。かきク会と称して、ク(=句もどき)を読み合っている。

私が「海」をテーマに読んだクがこちら。

ざざっ うねうね ぎらぎら ねっとり。1日も同じじゃなかった

友人には「日常に海がある人のクですね」と言われた。実際にその通りで、私は4月に岡山の港町である宇野に移り住んだ。元々は岡山市内にある実家に住んでいたけれど、一人暮らしをしようと決めて「瀬戸内海の近くに住んでみたい!」という理由でこの町を選んだのだ。

幸い海が見える家に出会えたものの、毎日見ていたらさすがに飽きると思っていた。けれど毎朝カーテンを開けて海を眺める瞬間は、まだまだ特別に感じられる。ボーッと見ていられるし、つい写真をとってしまうから私のカメラフォルダは同じアングルの海の写真ばかりになった。

それほどまでに海が好きなのはなぜだろう、と海を眺めながら思う。

きっとこのクの通りで、きれいなだけじゃないから。キラキラしているだけじゃない。うねうねしているときも、のっぺりしているときも、どんよりしているときもある。いつも同じじゃない安心感。誰にもコントロールされずに静かに、確かに、変化している姿が好きだ。繰り返しの日常を過ごしていると、まるでループの世界に迷い込んだ気持ちになるときがある。けれど、毎日違う海を見ることで「よかった。今日は昨日とは違う。また新しい1日が始まった」と思えるのだ。

ただきれいなだけじゃない海でよかった。違いに気づける自分でよかった。ホッと胸を撫で下ろしたところで今日が始まる。


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