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ミズ・ミステリオーザ (1) ミフネさんスピンオフ

 ヘッダー画 : ぼんやりRADIO


以下は、こちらの作品の原点となりました、ミフネさんスピンオフです。

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 ガルデーニア・ミステリオーザは中年のご婦人である。
 ウエストは、まだある。
 すんでのところで救出した。
 赤い屋根のテラス席でそよそよと風に吹かれながら、
「この頃、ペンギン体型になってきたような気がするのね。ジムにでも通ってみようかしら」
 と口にしてみたのだった。
 もちろん、
「そんなことないよ、ガルデーニア。そのくらいが丁度いいと思うね」
 という返答が来るものと思っての発言である。
 ところがダーリンときたら、頷いているのである。
 カクカクカクカク。
 動きは次第に大きく明瞭になっていく。青い青い5月の空に、妙な風の動きが生まれていく。
 このままでは、ダーリンの首はもげてしまうやもしれぬ。
 やむを得ず、ミステリオーザ婦人は来週からジムに通うと宣言した。
 だから、ウエストはまだある。ダーリンの首も。

 

 かといって、それでは終わらないのが世の常である。
 ウエストを保ったままで大きくなると、問題はなかなか見えづらくなる。なんたる落とし穴よ。
 ワードローブの整頓をしていた婦人は息を呑んだ。大切なお洋服が、一様に縮んでいるではないか。しばらくの間、赤くなったり青くなったりを繰り返したのち、普段の色に戻ると、重々しくのたまった。
「スカートやパンツは裏切るのだわ。ワンピースに限るわね」
 所有する中で一番お値段のはるワンピースを引っ張り出す。
 アルマーニよ、お前もか。

 

 新しいスカートで夕餉を楽しんだ婦人が目にしたのは、お友達の恐るべき習慣であった。
 ちゃっちゃっちゃっちゃっ。
 一矢乱れぬ行軍のような。
 食べたものを全て入力しておくのだという。炭水化物がタンパク質が脂質が。ビタミンが鉄分が食物繊維が。こちら本日のカロリーになります。
「ガルデーニア、あなたはなさらないの?」
 婦人は影響されやすく騙されやすいところがある。若かりし頃、ガソリンスタンドで勧められるがまま、中古の軽自動車にハイオクガソリンを給油してしまったとか。人生経験によってかなり修正されたのだが、三つ子のたましい何とやら。
 右に倣え、である。
「なんてこと。こんなに脂質の摂取量が多いだなんて」
 仕方ないではないか、婦人の好物はトンカツなのだから。

 

 前置きが長くなったが、そんな頃に瀟洒な白壁のお屋敷に迷い込んだ猫が、アブラダモッチと命名されてしまったのは、無理からぬことであった。

 

 アブラダモッチは広々としたお庭の木の上で、瞑想している。木漏れ日をこよなく愛する彼女は、時々薄目を開けて、木蓮の青々とした葉の向こうに透ける光を、満足そうにキャッチアイするのである。
 敷地がどのくらい広いかというと、5380坪ある。サッカーコート2面をちょっと超えるくらい。
 真っ白い犬のホニョーラ・マニョーリアは、真っ黒い犬のコッコーラ・ネロを教育中である。
「嘘の5、3、8っていうのよ。咄嗟にこの数字を言っちゃうんですって。だからおかあさまは、その数字を逆手にとったってわけなの」
 逆手にとったら何がどうなるのか、誰も説明できないのだが。
 木の上からアブラダモッチは気怠そうに口を挟む。
「ホニョーラ、また、蘊蓄をたれているの」
「うんちくんをたれる?」
 ミステリオーザ婦人と、アブラダモッチと、ホニョーラは、心の中でため息をもらす。3人の思考がシンクロする。コッコーラは、どうしてこうなのかしら。この娘は、カラスに変態すると恐ろしいほど冴えわたるというのに、犬形ときたら。やっぱり、鳥類が哺乳類に擬態するというのは、かなり無理があるのだわ。鳥類の祖先は恐竜であるからにして。
「コッコーラ、あんたは犬でもカラスでも、真っ黒ってこと。それでいいんじゃないかしら」
 その場を収めるのは、いつだってアブラダモッチである。

 

 お屋敷では、花壇にチューリップが見頃である。赤、白、黄色。ホニョーラはまだ仔犬だった頃、風に揺れる蕾を片っ端からやっつけてまわった。さすがの婦人もこの時ばかりは悲鳴をあげたものだ。
 チョッキンチョッキンチョッキン。
 チョキンチョキンちょきん。
 貯金ならたくさんあるから、また球根を買い付けたのだけれども。
 花壇の向こうの広場は荒れ放題である。もとい、これが雑草に見えるのは凡人の証である。ここは婦人の薬草園であり、あいだあいだに、季節の野草が咲き誇っている。
 そのまた向こうには森を模した木々が乱立しており、一画にログハウスが立っている。敷地内に別荘。
 ホニョーラは、若気の至りでチョッキンしたものの、本来はとても責任感の強い犬である。今日も、森の果てまでパトロールに余念がない。ログハウスまでやってきた時のことであった。
 麻のズダ袋の上に毛皮を纏った縄文人が階段の下に倒れている。長い髪はお団子、髭面に血。
「一大事でございます!」
 コッコーラと、アブラダモッチ、遅れてミステリオーザ婦人が駆けつける。
「高床式倉庫だと思ったのかしらね」と、アブラダモッチ。
「縄文人は竪穴式住居ではありませんの?」と、ホニョーラ。
「高床式倉庫は縄文中期より出現しています。竪穴式住居は縄文から弥生、さらには平安時代にも用いられています」と、コッコーラ。今はカラスの形をしているので、こんな発言をしても誰も驚かない。
 それはさておき、介抱してやらねば。4人は力を合わせて、ログハウスのベッドに男を寝かせた。
 医者など呼ばぬ。婦人の薬草があれば大概のことは事足りる。
 それに。
 この男は、この4人にしか見えぬので。

 

 アブラダモッチは情に厚い猫である。迷い込んだ自分を、婦人が大切にしてくれることに、日々感謝している。2匹の犬、いや1匹の犬と1羽のカラス犬も、自分に敬意を表してくれる。ここでは、婦人が大切にしているものはみんなで大切にする、という掟が自然に守られていて、アブラダモッチは、それがとても気に入っている。
 そこへ、縄文人が加わった。
 アブラダモッチは来る日も来る日も、男を見舞う。アメリカン・ショートヘアの、白と黒のだんだら模様の尻尾で、フニフニと男の髭面を撫でてやる。無数の傷を労るように。まるで、大きな鯨と戦ったあとのような傷。
 しばらく男を見守ってから、屋敷へ戻る。ツルニチニチソウの紫の花が揺れる中をアメショの縞模様が駆けていく。
「どうだった?」
「まだ眠っています、目を覚ます気配が感じられないわ」
「そう。薬草茶もお粥も、置いておくと無くなっているのよ。私たちの知らないうちに起きて、また眠っているのね。きっと、何か大変なエネルギーを使ってきたのだわ」
「あのね、おかあさま」
「なあに」
「しっぽに、あの方のお髭の毛がついたの。匂いもついたの」
 アブラダモッチは潔癖症なのである。
 婦人はにっこりして、尻尾を洗ってやる。牛の絵のついた無添加石鹸である。5380坪に建つ、瀟洒な白壁の屋敷の中でも、牛の絵のついた石鹸なのである。アブラダモッチは、ホニョーラやコッコーラみたいに、ラベンダーの香りのする石鹸だったらいいな、と思っている。でも、猫にアロマオイルは危険なのだ。犬と猫とは代謝が違う、そう説明されて諦めた。
 アブラダモッチの尻尾が汚れなくなってきた頃、男の皮膚は艶を取り戻し、心なしかふっくらしてきたようにも思われた。

 

 今日ほど、自分が猫であることを呪ったことはない。ホニョーラやコッコーラなら、ワンワンとかカアカアとか叫べば、お屋敷まで聞こえるというのに。
 駆けて駆けて駆けた。
「おかあさま!!」と走り込むのと、
「やったわ!!」と婦人が叫ぶのが同時だった。
 婦人は誇らしげにアルマーニのワンピースを纏って、機関銃のようにまくしたてた。
「脂質に気をつけていたでしょ。毎日、あの殿方に薬草茶とお粥を運ぶのに、ログハウスまで2往復していたでしょ」
 ホニョーラもコッコーラもワンピースの裾と一緒にヒラヒラしている。
「おかあさま、あの方がいなくなりました!!」
 3人は瞬時にフリーズして、一気に解凍したかと思うとすごい勢いで走り出した。
 ログハウスの扉を開けると、部屋は整頓され、真っ白なシーツはピンと糊がきいたまま。その上に、牛の絵のついた無添加石鹸が一つ、手紙が一枚。
「本トウに感謝してオリます」

 

 外へ出て、柔らかな風に身を任せる。
 婦人は靴を脱ぎ捨てると、えいっとばかりにお茶の空き缶を蹴り上げた。それはどこまでも、どこまでも空高く突き抜けていく。
 そう、婦人は嬉しいのである。
 嬉しいと、お茶蹴るのである。

 飛んでいる空き缶を見つけたらご一報くださいね。

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 ぼんやりRADIOさんの小説に登場する縄文人「ミフネさん」。

 穂音バージョンのミフネさん書いてみませんか、と嬉しいお声がけをいただきました。ちょうど、あたためていた「ミステリオーザ婦人シリーズ(シリーズ予定)」に、ぴったり馴染んでくれたミフネさん。こちらの記事のコメント欄から、小ネタが仕込まれておりますのです。


 ミフネさんについて知りたい方はこちら。2倍楽しめます。缶の行方とかも。


 ぼんラジさん、ほのラジありがとごじゃいます!



お気持ちありがとうございます。お犬に無添加のオヤツを買ってやります。