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プロレスラー:オカダ・カズチカ

プロレスラー:オカダ・カズチカ
新日本プロレス退団。
オカダ選手は僕がプロレス観戦にハマるきっかけの1人であり、僕の世界一好きなプロレスラー。
なので僕の思う彼の魅力やプロレスについてを、かなり脱線しながら綴ってみます。
僕の見てきたことや聞いてきたことの記憶の引き出しから書き殴るので、もしかしたら間違ったところはあるかもなのであしからず。
よく昭和生まれの人がこう言ってくる。
「猪木は凄かった」
「猪木は神のような存在だった」
「猪木ほどの伝説を残した人はいない」
「アントニオ猪木こそ闘魂」
などなどプロレス全盛期を生きた人たちの中に3人に1人はいるんじゃないかと思うほどの「猪木信者」
しかし、それと対をなす人もいる。今でもごく稀に存在するプロレスアンチだ。
そんな心無い人がしばしばプロレスを目にすると、
「所詮八百長だろ?」
「どうせシナリオ決まってんだろ?」
「本当に痛いのか?」
「なんでロープに振ったら返ってくるんだよ、止まればいいじゃねぇか」
といった調子でプロレスファンを焚き付ける。
(キツめな人ね)
えー、そんなプロレス全盛期の最中、
本当の強さを求めた新日本プロレスから、
前田日明、高田延彦ら率いるUWFという本物志向のプロレス団体が誕生。
独自のルール(UWFルール)を用いて掌底やキック、タックルや地味な締め技、関節技といった最強を追い求め生まれた格闘プロレス。
見たことのないホンモノ感がハマり、熱狂的なファンが誕生していき、一躍UWFブームとなる。
そこから時代は進んでいき、
石井館長が生み出した打撃系格闘技イベント
「K-1」
高田延彦vsヒクソングレイシーを第三者の公平なリングの上で行うことを目的とし、榊原社長が生み出したイベント
「PRIDE」(現在のRIZIN)
が生まれたのだ。
これらは僕が生まれた頃の、おおよそ90年代に誕生した。だった気がする。
もとよりプロレスファンだったもの、UWFファンだったもの、そもそもが格闘技ファンな人、流行っているので乗っかった人、などがテレビに釘付けになった。
ここから格闘技ブームが誕生。
初めて見る総合格闘技(当時はアルティメット、バーリトゥードなどの呼称)というスポーツに世間は熱狂した。
中でも注目したいのはPRIDEだ。
PRIDEというイベントが開催されるまでのストーリーが肝心なのだが少し端折ります。
山本サーセン(山本アーセン)
新日本プロレスからUWF、UWF崩壊後UWFインターナショナルを立ち上げ、Uインター崩壊、PRIDE開催メイン出場。
これが高田延彦の簡単な経歴だ。
Uインターにて"最強"を掲げていた高田延彦へ、ちらほらと噂話が入り始めた。
どうやら海の向こうに、ヒクソングレイシーというメチャ強い男がいるらしい。
最強を掲げる高田延彦、UFC(当時は団体ではなくなんでもありの格闘大会)という大会にて優勝したグレイシーという男の兄(ヒクソングレイシー)一体どちらが強いのか?本当に高田は最強なのか?本当に"プロレス"は強いのか?
そんな疑問を世間が持ち続け、ついに開催されたイベントがPRIDEである。
UWFルールと現在の総合格闘技ルールをミックスしたような形式による体重無制限、5分12ラウンドの試合が行われた。
結果。
1ラウンド、腕ひしぎ逆十時固め。
高田延彦の負け。
みんなの思いを抱き続けてきた、高田延彦、Uインター、UWF、"プロレス"が負けた。
終了のゴングが鳴った後、生観戦していた人、テレビで見ていた人、誰もが呼吸をするのを忘れた。
PRIDEは一度きりの大会のはずだったが、総合格闘技(MMA)産業は儲かると目を付け、継続してPRIDEは開催され、その他の団体や大会が生まれていく。
プロレスを信じれなくなったファンが皆、総合格闘技の魅力に熱狂していく。
そこからプロレス産業は暗黒期に入る。
さらにルーツを辿る。
猪木vsモハメドアリの異種格闘技戦。
新日本プロレスはプロレスは最強である事を証明をするため巨額の借金を作り、当時ボクシングチャンピオンのモハメドアリとの異種格闘技戦を数々の難航を乗り越え決定。
猪木は寝転がり、ボクサー"アリ"へキックを放ち続ける。
当時は"世紀の凡戦"と酷評をされたが、総合格闘技(MMA)産業が産声を上げた90年代にて、再評価をされた。
総合格闘技が誕生した頃の試合では、寝技の得意な柔術の選手が多かった事もあり、寝たまま闘う猪木のポジションが多く見られた。
生まれたての総合格闘技では理に適ったものだったのだ。
上記の状態を猪木アリ状態と呼ばれる事となる。
新日本プロレスの創始者、アントニオ猪木がいなければプロレスラー高田延彦は生まれていただろうか?UFC殿堂入りしたプロレスラー桜庭和志は生まれていただろか?世間を賑わすほどの異種格闘技は行われていただろうか?
もしかすると、総合格闘技は誕生していなかった"かも"しれない。
皮肉にも格闘技ブーム、総合格闘技を作り出したのは、プロレスなのだと私は思う。(プロレス大好きですけどMMA観戦も好きですよ)
そんなプロレス産業暗黒期を、つい最近新日本プロレスの社長へ就任した、棚橋弘至。
そして現在、世界一の規模を誇るプロレス団体「WWE」のスーパースター、中邑真輔らがお客の入らない日本のプロレス産業を支えていく。
(新日本以外のファンは山本サーセン)
2000年代、沈んでいった先へ現れた新スターが、"オカダ・カズチカ"である。
2012年1月4日、僕がプロレスに興味を持ち始めた頃、彼が1.4東京ドームへ現れた。
自身を"レインメーカー"金の雨を降らせる男としてアメリカ武者修行から凱旋帰国。
奇抜で生意気な191cm,107kg,24歳、凱旋試合vsYOSHI-HASHIをあっさりと勝利。
その大会のメインイベント終了後、当時チャンピオンの棚橋弘至の前へ乱入。
生意気な若僧24歳の男が棚橋チャンプに挑戦表明を行う。
「これからは逸材に代わって、レインメーカーが新日本を引っ張っていきますんで、お疲れ様でした。」
当然、昨日今日帰ってきた若僧の挑戦表明に会場はブーイング、「帰れ」コールの嵐。
新日本プロレスの最高峰のベルト"IWGP"を持つものが最強とされる。
アントニオ猪木の時代から作られた、伝統と格式のあるものだ。
棚橋弘至は失笑しながら、「IWGPは遠いぞ」と一蹴したが、その後の一夜明け会見にて現実を思い知らせるといった理由でタイトルマッチが決定する。
2月の大阪、
棚橋IWGPチャンピオンvs挑戦者オカダカズチカ
試合開始のゴングが鳴った。
勝利したのは、オカダカズチカだった。
誰もが棚橋の圧勝と言った下馬評であったが為にショックは大きく、プロレスファンの間では、
通称"レインメーカーショック"と呼ばれている。
皆、まぐれの勝利だと思っていたが、その後のオカダのベルト防衛戦にファンたちは魅了されていく。
長身で鍛え抜かれた身体。甘いマスク。打点の高いドロップキック。徹底した首攻め。
100kg超えの重い一撃の中にも細かいレスリングテクニック、プロレスならではの派手技、その身体能力の高さ。
そして何より、ゴツゴツ無骨な相手となれば意地を張り合い、綺麗な華麗な相手にはそれ以上のパフォーマンス、プロレスの醍醐味である試合展開、試合内容の充実さに漢達はチケットを求め出したのだ。
ここからオカダvs棚橋のIWGPの奪い合い闘争に発展し、何度も両者でベルト奪取、防衛、ベルト奪取を繰り返していき、鉄板黄金カード、名勝負数歌状態となり、いつしかライバル関係に。
そして、同年のシングルマッチのリーグ戦、夏の最強戦士決定戦とも言われる
"G1 CLIMAX"
灼熱の激闘を繰り広げ、見事に初出場にして初優勝。
そして歴代最年少優勝を果たした。
こうしてオカダカズチカの爆進は止まる事なく進み続け、どんどんとプロレス業界がV字回復を果たしていく。
男くさいイメージのエンタメであったプロレスというスポーツに、新たなファン層も生まれた。
プロレス女子、通称プ女子。
無骨なレスラーだけでなく、オカダカズチカや棚橋弘至、飯伏幸太などなど鍛え抜かれた身体に甘いマスクを持った所謂イケメンレスラー、キラキラした華やかな格好をするレスラーなどが誕生していった。
時代を経る事に男だけでなく女性も魅了していき、いつしか会場に黄色い声援が飛び交う光景が作られていった。
まさに金の雨を降らす男、"レインメーカー"を体現してみせたのだ。
私も彼に雨を投げ、魅せられた1人です。
新日本プロレスと古くからの付き合いとなるテレビ朝日ともガッチリと協力体制を整え、様々な新日本プロレスラーがお茶の間に顔を出していく。(テレ朝が橋本真也、小川直也に負けたら即引退マッチの参謀だったことは野暮なので書きません!ちなみに即引退という言葉はここから生まれました)
段々とプロレスの知名度を再び上げていき、現役の本間選手(声ガサガサ)などがお茶の間を賑わし、今ではレジェンドレスラーである長州力や天龍源一郎がリングから主戦場を変え、バラエティなどで引っ張り凧となる。
そこから超満員御礼となる興行ばかりとなる。
(チケット取れない辛い)
どん底の時代から、ここまでプロレスの発展を遂げた立役者といっても過言ではない漢、オカダカズチカ。
そんなオカダカズチカに、僕は、昭和を生きたファンが口にする
「アントニオ猪木はとにかく凄かった」
「猪木は神のような存在だった。」
「アントニオ猪木といえば闘魂」
という言葉を重ね合わせて見ていることに気がついた。
僕はもちろん昭和を生きた訳でもないし、活躍し様々な伝説を残す"アントニオ猪木"を生で見てきた訳じゃない。
ただ、オカダカズチカを見ると「闘魂ってこういう事なんかなぁ、猪木信者はこんな気持ちで見とったんじゃろうなぁ」と妙に納得してしまう。
2021年、アントニオ猪木が創設した新日本プロレスが、旗揚げから49周年を迎え、来年50周年を迎えるタイミングだった。
飯伏幸太という選手が歴史ある"IWGPヘビー級チャンピオンベルト"そして、ベルト誕生から10年が経つ"IWGPインターコンチネンタル王座ベルト"の二冠を奪取した。
ここからとんでもないことになる。
なんと二冠王者になった飯伏幸太はベルトを一つに統合すると言い出した。
チャンピオンの提案が通り、ベルトを一つに統合することとなった。
爆誕した新たな王座は
IWGP"世界"ヘビー級王座
に生まれ変わったのだ。
はい、そうです。世界がつきました。
様々な意見が飛び交った。
「アントニオ猪木から続く歴史あるIWGPヘビー級王座をなぜ無くした!」
「歴史のあるIWGPヘビー、まだ歴史は浅いが段々と格を上げてきたIWGPインターコンチそれぞれのタイトル戦を見ていきたかった」
「IWGPヘビー、インターコンチ、結局どっちが凄いかわからないから統合して見やすくなった」
などといった賛否の声。
ファンのみならず、もちろんレスラーからも賛同的なものや否定的なものもいた。
ファン、選手それぞれ複雑な気持ちの中2021年を過ごしていく事となった。
そんな中、同年のG1にてオカダカズチカが優勝。
優勝者は毎年必ず、1月4日東京ドーム大会でのタイトルマッチ挑戦権利証が渡される。
オカダカズチカは、
「権利証はいらない、新設されたIWGP世界ヘビーも興味はない、僕が欲しいのは"4代目"のベルト。廃止されたIWGPヘビー級チャンピオンベルトを権利証の代わりにかけて東京ドームまで闘っていく」
と宣言した。
そう、オカダカズチカにとってはアントニオ猪木からの系譜があり、2012年自身がブレイクしたきっかけとなったのがIWGPヘビー級王座なのだ。
ファンや選手たちは困惑し、そして何よりIWGP世界ヘビー級王座を保持している選手は、自身が最高峰のベルトを保持しているのになぜ昔のベルトを持ち歩くのだと怒りを露わにする。
なにより4代目のベルトってなに?となった。
見事、年末までの激闘を制し、廃止されたIWGPヘビーのベルトを保持したまま新年を迎えた。
新日本プロレスは50周年を迎えた。
待ちに待った2022年1月4日東京ドーム大会にて、
第3代IWGP世界ヘビー級王者鷹木信悟と挑戦権利証(前ベルト)保持者オカダカズチカが激突。
オカダが鷹木を破れば第4代IWGP世界ヘビー級王座となる。
ここで皆思った。「あ、オカダが言ってた4代目ってIWGP世界ヘビーの4代目チャンピオンになるってことかー。上手い言葉遊びしてただけかー。」
そんな勝手な納得を心に秘めた中、オカダカズチカの入場、そこにはいつもと違うオカダの姿だった。
コスチュームを一新し、まるでアントニオ猪木のような"闘魂"を感じさせるガウンとタオルを纏ったオカダカズチカ。
ゴングは鳴った。
勝ったのは、オカダカズチカだった。
ファンは皆思った。
「僕が欲しかったのは4代目のベルト、そう!今僕がIWGP世界ヘビー級王座の"4代目"チャンピオンだ!!!」
みたいな事言うのかなぁ〜と。
そんな予想とは裏腹な行動に出る。
勝利したオカダの腰に新王座IWGP世界ヘビー級王座ベルトを巻こうとするレフェリー。
それを制止し、自身がずっと肌身離さず持ってきた廃止された旧IWGPベルトを持ち出し、リングの中央へ置いた。
そして、
「ありがとうございました!!」
と言い放ち、旧ベルトに深々と礼。
そして観客席へ、旧ベルトの姿を高く上げ見せつけた。
オカダカズチカだけでなく、我々プロレスファンも旧IWGPヘビー級王座のベルトへお別れができたのだ。
これは後に分かった事だが、オカダカズチカが言っていた"4代目"とは、IWGPヘビー級王座ベルトの歴史だった。
王座創設時は初代、2代目、3代目、といった形で時代を重ね"4代目"のデザインまで変わっていき、IWGP"世界"ヘビー級王座誕生前、廃止前の姿が4代目のIWGPヘビー級王座ベルトだったのだ。
オカダが日本に凱旋し"レインメーカーショック"を起こした時、手にしたベルトは
"4代目"のデザインであるIWGPヘビー級王座ベルトなのだ。
4代目のベルトを年に一度の最大級の興行、ファンが一年に一度一番集まる場所である1.4東京ドーム大会まで死闘を制し、同大会のメインイベントまで連れて行き、50周年という大きな節目の年にキッチリとお別れをする。
物議を醸した統一王座問題に対してファンを納得させた。
こんな完璧な別れ、誰もが納得のする供養の形はオカダカズチカ以外にできたのだろうか。
その後、新たな王座、IWGP世界ヘビー級王座のベルトを迎え入れ腰に巻いた。
とにかく似合う!!
そんなカッコいい新チャンピオンが生まれた。
また、2020年はコロナ真っ只中の状態、無観客でのプロレス開催。2021年はマスク着用の声出し禁止、手拍手のみの興行で行われた。
その後のマイクにて、
「いつかまた、歓声のある中で試合がしたいし、何よりお客さんもそうだと思う。そういう中でプロレスが楽しいと思う」
と涙を浮かべながら語った。
無観客のプロレスを守ってきたのもオカダだった。
「もう一つだけ、猪木さん、『元気があればなんでもできる』そうでしょう。いつかまた元気な姿でリングに上がってください。」
とその当時から闘病していたアントニオ猪木へメッセージを送った。
猪木達が積み上げていったプロレスが皮肉にも一部プロレスから発展した格闘技に食われた。
どん底まで落ちたプロレスを棚橋たちが守った。
落ち切った中に新たなオカダカズチカというスターが誕生し、生意気だった24歳のレスラーが年輪を重ね、伝統を守りながらも革新させ、格闘技には格闘技の良さがあり、プロレスにはプロレスにしかできない良さがあると世間に広めた功績を重ね、現在の日本のプロレスがある。
この一連の流れを僕は中学生の頃から見ていき、オカダカズチカが神々しく見え、今は死語かもしれない闘魂が彼にはあると思う。
僕はそんなオカダカズチカが大好きだし、中学生の頃からオカダ選手が見してくれた最高の舞台を忘れることはない。
オカダカズチカは、
僕にとっての強くてかっこいいヒーローなのだ。

オカダカズチカの新日本プロレス退団。
僕の大好きな新日本プロレスで、今後オカダカズチカを見ることがなくなるという事はとても悲しいし、とてもショックな出来事。
だって1人の選手退団でこれだけ書けちゃうもんね。
でも日本でやれる限りをやり尽くしたのもファンが一番分かってる。
恐らく世界最高峰のプロレス団体WWEを主戦場にするのだろう。まあ兄貴分の中邑真輔も居ますし。
WWEへの挑戦は、プロ野球でいうメジャー挑戦のようなもの。
大谷選手のような日本の誇れるトップアスリート、トップレスラーになる未来しか見えない。
段々と遠い存在になるオカダカズチカの活躍を、これからもずっと追っていきたい。

退団に伴ってビッグカードが発表された。
2024年2月11日(日)エディオンアリーナ大阪にて、
オカダカズチカvs棚橋弘至シングルマッチ
そう、12年前のレインメーカーショックと同じ大阪にて、同じ対戦カードが行われる。
様々な感情を抱え、堪能します。

  流川ドッグス 鋳鍋

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